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武田信玄が川中島合戦の際に信濃
善光寺の本尊や宝物類を 避難させ
たことに始まる。金堂は、山門ととも
に江戸中期を代表する建造物として
国指定の重要文化財となっている。 |
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銅造阿弥陀如来及両脇侍立像
像高・阿弥陀147cm、観音95.5cm、
勢至95.1cm。銅造鍍金。中尊の重
量は242kgで堂々たる威容を誇る。 |
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木造阿弥陀如来及両脇侍像
像高・阿弥陀140cm、観音139cm、
勢至139cm。桧材の寄木造、彫眼
漆箔仕上げ。藤原仏の構造を有し
本格的な定朝様式を伝える。 |
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718年、行基の開創と伝承。 聖武
天皇より寺号と勅額を賜る。鎌倉
幕府の祈願所として繁栄し、現在
の本堂は 9代執権北条貞時の勧
進を得て1290年に落成を見た。 |
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薬師如来
像高85.4cm、サクラ材の頭部から体
までの一木造。 均整の取れた、まと
まった造形に加えて特徴的な指の長
さや手の形状が見られる。 |
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日光・月光菩薩立像
像高・日光菩薩248cm、月光菩薩
247cm、桧材の寄木造、水晶製の
玉眼 嵌入。像内は内刳りを施し、
割首とする。 |
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十二神将立像
像高145.9〜138.2cm、桧材の一木
造及び寄木造、玉眼嵌入。各像は、
がっしりとした体躯に甲冑を着け様
々に武器を執る。 |
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十二神将立像(2)
大きく口を開くもの、固く口を引き
結ぶもの、目を思い切り 見開くも
のなど、それぞれに独特の表情を
持つ。 |
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安田義定が 一ノ谷の戦いの戦勝を
記念して建立。武田信玄の祈願寺と
して繁栄したが、織田信長の兵火に
より焼失した。 その後、江戸初期に
徳川家の保護により再興した。 |
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大日如来坐像
像高95.4cm、檜材の寄木造。頭体
幹部を左右に二材矧、割首して内
刳り。部分的に布張錆下地漆箔仕
上げ。宝冠は銅製渡金である。 |
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不動明王立像
像高148.4cm、檜材の一木造、内刳
がある。部分的に布張りの彩色仕上
げ。衣文線は浅い。忿怒の相の中に
もおだやかな表情が覗かれる。 |
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愛染明王坐像
像高89.1cm、檜材の寄木造、彩色
仕上げ。彩色ほとんど剥落。弓と矢
をつがえた天弓愛染は少なく、
神童寺、金剛峯寺が知られている。 |
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金剛力士立像
総高・阿形263.0cm、吽形264.0cm、
体の赤い色は、元禄時代の修復時
に塗りなおされた。 両体とも鬢だけ
を剃り残して髻を結いあげる。 |
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平安末期に武田氏始祖の武田信義
が菩提所とし開祖する。武田氏滅亡
後、火災で寺宝を消失。その後、江
戸初期になり赫山和尚が 再興に着
手し庫裏、本堂などを随時再建した。 |
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阿弥陀如来及び両脇侍像
像高・中尊86cm、観音菩薩89cm、
勢至菩薩102cm、桧材の寄木造。
衣文線の彫りは浅いが 流麗である。
頬のふくよかさに鎌倉の特徴を見る。 |
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夢窓疎石が1316年に長禅寺を創
建。武田信玄の母堂が菩提寺とし
た。後に信玄が容易に母の供養が
出来るように甲府にも長禅寺を開
創。故に古長禅寺と呼ばれる。 |
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夢窓疎石坐像
像高82.5cm、桧材の寄木造、挿首、
玉眼嵌入、彩色仕上げ。 中年期の
姿で、椅子の上で禅定印を結ぶ。
衲衣の上に袈裟をまとう。 |
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811年、嵯峨天皇の勅命により空海
の創建と伝承。一条天皇より円鏡寺
の名を授かる。 江戸期に焼失の観
音堂は 1741年に再建された。歴代
権力者から寺領寄進を受けている。 |
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聖観音立像
像高166.7cm。寄木彫眼、皆金色。
宝髻は 低く宝冠台は 外に開いて眼
は伏目。衣文は平行線を描いて美し
く表現。 |
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不動明王立像
像高182.7cm、寄木造、彫眼、彩
色仕上げ。形相は不動十九観の
約束に従っているが、誇張に陥ら
ず穏で写実的な作風。 |
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金剛力士立像
像高各230.3cm、寄木造、玉眼。口
を開く阿形、口を閉じる吽形の対で
金剛力士と呼ばれる。 筋肉表現に
誇張もなく、表情は温和な造り。 |
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738年、行基により草庵が つくられ
後ちに空海が、寺院とした。鏡島や
梅寺の由来は 空海の奇瑞による。
弘法大師信仰が 厚いが、1549年
の再興に際し、臨済宗に転じた。 |
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千手観音
像高109.4cm、樟材の一木造。やや
面長で口をへの字に結び 厳めしい
表情である。 体形は細く、ほぼ直立
する。衣文線の彫りは浅い。 |
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毘沙門天立像
像高160.6cm、大きく見える像で、
髪は低く結い、憤怒の表情や体
勢は控えめである。腕 腰は太く、
逞しい。安定感がある。 |
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韋駄天立像
像高78.8cm、木造、玉眼、彩色仕上
げ。鼻、口が顔の中央に寄る。兜は
着脱できる。衣は自在に波打ち、下
半身右足を横に開く。 |
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815年、最澄が施楽院を開創との伝
承。一条天皇の勅願により、伽藍が
整備される。蟹に乗った蟹薬師とし
て信仰を集めた。兵火で焼失するが
歴代の領主により再建される。 |
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薬師三尊(中尊)
像高163cm、素地仕上げ。半丈六
のどっしりした坐像で 衣文線もくっ
きりとしている。 |
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脇侍(日光・月光菩薩)
像高共に約200cm、日光菩薩は
女性的、月光菩薩は男性的に表
現される。 |
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阿弥陀如来立像
像高164cm、玉眼、一木造。保存状
態はよい。穏やかな像だが、上げ底
式の像底や髪の表し方などに慶派の
特徴が見れる。 |
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四天王立像
像高242cm前後 、桧材の寄木造、
表面乾漆仕上げ。各像ともいたっ
て動きが少なく静かな姿を示 す。 |
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四天王立像(2)
増長天と多聞天は邪鬼を踏みつけ、
持国天と広目天は岩座の上に立っ
ている。巨像で、地方作らしく朴訥と
した造形に味わいがある。 |
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十二神将立像
像高114cm前後、頭に十二支の
標識をつけており、その年のえと
の像だけは 本堂に安置される。
他は霊宝殿に保管。 |
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十二神将立像(2)
薬師如来の12の大願に応じて、12の
方位、12の時刻を警護する。 この時
刻には 時間、日、月、年のすべてが
含まれる。 |
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釈迦三尊(中尊)
像高79.6cm、玉眼 、寄木造、漆箔
仕上げ。 胸前に手を構える説法印
を結ぶ釈迦如来像は、希少である。
他では鎌倉の極楽寺に見られる。 |
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脇侍(文殊・勢至菩薩)
像高各45.0cm、普賢は 普遍の理
性を示し、文殊は 知恵を司る。通
例では文殊が、中尊の左手、普賢
は右手になるが、逆になっている。 |
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718年、勅命により泰澄が創建。郡
上郡に宗教勢力として君臨したが、
戦国時代以降、朝倉氏の侵攻で衰
退。明治の神仏分離で打撃を受け、
現在の堂宇は縮小再建されたもの。 |
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釈迦三尊(中尊)
像高52cm、桧材の一木割矧造、玉
眼嵌入、内刳りを施す。表面は錆下
地の上に金泥仕上げ。衣部には細
かい切金文様を施す。 |
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普賢・文殊菩薩(脇侍)
像高30cm 、文殊像は全身を金泥仕
上げ、普賢像は肉身は白肉色、衣を
金泥仕上げ。文殊像が袈裟を着ける
服制は宋代の様式。 |
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四天王立像 、
像高101.5〜103.8cm、寄木造、玉
眼。 四体とも堂々と力強く、動勢の
把握も的確。着衣や甲に花文や鳥
獣や法具など多彩文様が見れる。 |
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韋駄天立像
像高97.3cm、木心塑像。長い眉や
切れ長の目や太い鼻梁の鼻が 特
徴。 鎧の細部などは捻塑材で造る。
切金を交えた彩色が鮮やかに遺る。 |
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善財童子立像
像高64.5cm、寄木造 。髪などは練
物と呼ばれる捻塑材で造られる。 |
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746年に行基が開基と伝承。歴代領
主から庇護され、中心寺院として栄える。造営された七堂伽藍は焼失、再
建を繰り返す。 大銀杏、三重塔、高
山城の鐘楼門などが現存する。 |
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薬師如来坐像
像高145.7cm、一木造。丸い穏や
かな顔面にくっきりした目鼻立ち。
肉髻は高く、螺髪は 小粒で整う。
瞼と目の境に深い彫込みが入る。 |
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聖観音菩薩立像
像高204cm、一木造。丸顔で直立し
た姿勢、宝冠に化仏を付ける。下半
身の裳は大きく折り返す。衣の襞は
浅い。元々国分尼寺の像との伝承。 |
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阿弥陀如来
像高60cm、螺髪はやや大きく 胴体
は短?で首が太く、膝張りは短く厚み
がある。翻波式文様が はっきりと刻
まれており定朝様式の先駆をなす。 |
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奈良時代、元正天皇の御代に創建と
の伝承。 天平時代以降は七堂伽藍も
整う大寺院であったが 織田信長の兵
火で焼失。 その後、江戸初期に高須
藩の援助でが再建された。 |
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千手観音
像高92cm、彫眼 、寄木造。やや
大顔で、優しい顔つきをしている。
なで肩で恰幅のある体形、浅いひ
だの流れ、脇手は 控えめである。 |
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最澄が 自作の薬師如来を安置して
創建。鎌倉時代には 38坊を有する
大寺院だったが、織田信長の兵火
で焼失。主要伽藍は江戸時代の復
興。即身仏寺 として知られる。 |
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大日如来坐像
像高約80cm、桧材の割矧ぎ造、玉
眼。顔は、やや下を向き眉は高々と
はあげず、目は細く切れ長、口・顎
は小さめにつくる。 |
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十二神将立像
像高・卯申の2神将は約85cm、他は
100cm余り寄木造、彫眼。 大きな姿
勢をとらず、控えめだが、おかしみ、
可愛らしさがある。 |
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深沙大将立像
像高175.5cm、樟材の一木造、彩
色仕上げ。角のような頭髪、飛び
出る眼、腕や足に巻き付いた蛇、
腹前に付けた面などが特異。 |
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板彫法華曼荼羅
縦18cm、横16cm、厚さ1.5cmの板に
法華経の世界を立体的に表現したも
の。中央には多宝塔、左右には普賢
文殊菩薩、四隅に四天王を配置。 |
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薬師如来坐像 鎌倉
像高87.7cm、桧材の寄木造、玉眼、
漆箔仕上げ。左手に薬壷を乗せ、右
手を外に向ける。もと洛北にあった仏
像で、鎌倉彫刻の正統を継ぐ。 |
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金剛力士立像
像高・両像約280cm、桧と桂材の寄木
造。忿怒の形相凄まじいが、誇張には
走らず、上品さを保つ。胎内銘文より
作者と作造年が判明。 |
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1189年、源頼朝の奥州藤原攻め
に際し 北条時政が 戦勝を祈願し
建立。北条氏が 境内を整備し大
伽藍を誇ったが、兵火により堂宇
は焼滅。本堂は江戸期の再建。 |
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国宝阿弥陀如来、不動明王及び二
童子、毘沙門天の各像は運慶が若
い頃の1186年に制作したもの。 |
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国宝:阿弥陀如来坐像
像高142cm、ヒノキの寄木造。胸前
に両手を挙げる説法印の指は破損
する。30歳代の運慶の作。 |
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国宝:阿弥陀如来坐像(2)
火災で顔に損傷を受け、 彫り直され
た形跡がある。目は彫眼だが、元々
は、玉眼であると思われる。 |
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国宝:不動三尊像
像高は136.8cm、ヒノキの寄木造、
玉眼。胎内 の塔婆形名札に運慶
の名。 |
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国宝:不動明王
肉付きのよい逞しい体躯、 左右対
称の面相で 正面を見据え、牙2本
は下向き、目に水晶の玉眼。 |
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国宝:矜羯羅童子
像高は77.9cm、ヒノキの寄木造、玉
眼。童子の臆病で人の言うことを聞
く性格を巧みに表現。 |
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国宝:制た迦童子
像高81.8cm、ヒノキの寄木造
玉眼。童子の活発で生意気な
性質を巧みに表現。 |
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国宝:毘沙門天(1)
像高は 148.2cm、ヒノキの寄木造
玉眼。胎内 の塔婆形名札に運慶
の名がある。 |
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国宝:毘沙門天(2)
玉眼で、眼光鋭く、鼻は大きく、口
はへの字に結び、足を肩幅よりや
や開いて邪鬼を踏みつける。 |
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1371年、無文元選禅師によって開
創された東海屈指の名刹。60ヘクタ
ールの境内には本堂、半僧坊真殿、
三重塔など六十余棟の伽藍がある。
臨済宗方広寺派の大本山。 |
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726年行基によって開創された。平
安末期に一条天皇の勅願により現
在地に移る。国指定名勝である池
泉観賞・回遊式蓬莱庭園は壮大な
自然を表現する。 |
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宝冠釈迦如来
像高 104.2cm、寄木造、金泥仕上
げ。定印を結ぶ。髪を結い上げ、宝
冠を着ける。面長 切れ長の目や幅
の広い鼻を持つ。宝冠は当初のもの |
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千手観音立像
像高152.4cm、カヤ材の一木造、彩色
仕上げ。内刳りなし。唇と体幹部左側
面に朱色が残る。左脇手前列最下部
の掌に目が描かれた痕跡がある。 |
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不動明王立像
像高 95cm、檜材の寄木造、彫眼。
怒りの中に慈愛が覗く形相、左肩
に垂らした 巻き髪、上腕と手首の
飾りに平安後期の特徴が見える。 |
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1122年 創建と伝えられる天台宗の
古刹。 境内の滝山東照宮は 三代
将軍 徳川家光の命により勧進され
れたもの。 日光、久能山とともに日
本三東照宮のひとつ。 |
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運慶仏
縁起によれば源頼朝の三回忌にあ
たる1201年に頼朝追善のため仏師
運慶・湛慶父子が作像。 |
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聖観音(1)
像高174.4cm 、桧の寄木造、彫眼。蓮華を持つ左手に右手を添え蓮華
座の上に立つ。 |
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聖観音(2)
髷を高く結い、丸顔、高貴な眼差し
で、源頼朝と等身である。像内には
頼朝のひげや歯を納める。 |
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梵天(1)
像高106.5cm 、桧の寄木造、彫眼
仕上げ。 四面四臂、各面の額にも
う一つの目を持つ三眼。 |
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梵天(2)
左手の一手に蓮華を持ち、右の一
手は軽く拳をつくり、蓮華座の上に
立つ。 |
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帝釈天(1)
像高104.9cm 、桧の寄木造、彫眼
仕上げ。一面三眼で、条帛の下に
胸甲を着ける。 |
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帝釈天(2)
右手に独鈷杵を執り、右足をやや
踏み出して蓮の葉の 荷葉座の上
に立つ。 |
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元々は円興寺で鎌倉末期に開創さ
れた。17世紀初頭に尾張国分寺跡
より国分寺堂を現在地に移す。 現
在の国分寺は 1886年に円興寺が
改称したもの。 |
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釈迦如来坐像
像高103.1cm、桧材の寄木造、玉眼
嵌入。八方宝冠(後補)をいただき定
印を結ぶ。衲衣のかたちは中国宋代
以降の仏像によくみられる。 |
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釈迦如来坐像
像高60.7cm、檜材の寄木造、玉眼嵌
入。宝冠をいただき、定印を結ぶ。宝
冠は、天冠台を波形につくり、上縁の
間に唐草を透彫りにする。 |
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伝覚山和尚坐像
像高84cm、桧材の寄木造、玉眼を
嵌入。まなじりの下った両眼は瞼に
抑揚をつけ、 固く結んだ唇と相まっ
て、意志の強さを表現。 |
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伝熱田大宮司夫妻坐像
像高・男子像60.7cm女子像60.9cm
桧材の寄木造。男子像は衲衣の上
に袈裟をかけ、婦人像は 垂髪を両
肩に、衣上に袈裟をかける。 |
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727年に行基により 創建されたと伝
承。その後、源頼朝の保護を受け大
いに繁栄した。戦国時代の兵火によ
り焼失したが、今川氏により再興。
江戸期には徳川家の保護を受ける。 |
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阿弥陀如来坐像
像高約140cm、桧材の割矧ぎ造、漆
箔 仕上げ。 手を膝の上で組んで 定
印を結ぶ。大きい顔に細い首。 衲衣
や裙の浅い衣文線が映える。 |
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釈迦如来坐像
像高約140cm、 カヤ材の割矧ぎ造
漆箔 仕上げ。施無畏、与願印を結
ぶ。螺髪は小ぶりで背筋はよく伸び
両膝は左右に張るなど定朝様式。 |
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四天王立像
像高171〜177cm、桧材の一木造、
彩色仕上げ。下半身は、前からは
中肉に見えるが、側面は量感があ
る。 |
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四天王立像(2)
増長天は、口を開いて威嚇する。広
目天と持国天は刀を振りかざし、増
長天は三鈷戟、多聞天は 宝塔では
なく宝珠を持つ。 |
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かつては天台宗の寺院で観音寺と
称し、国分寺の一支院であったが、
南北朝の頃、臨済宗に改宗して寺
名を安楽寺と改称した。 |
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十一面観音立像
像高97.8cm、榧材の一木造。頭上
面は鎌倉未頃の補作。天冠台が低
く、目鼻だちが童顔で、衣文の彫り
口が浅い。 |
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釈迦如来坐像
像高142cm、桧材の寄木造、彫眼。
左手は、膝上で掌を仰ぎ与願印を結
ぶ。右手は掌を前にして施無畏印を
結ぶ。面長で下ぶくれの面相。 |
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阿弥陀如来坐像
像高70cm、桧材の寄木造、玉眼嵌
入、内刳りあり。定印を結ぶ。肉髻
の形が低平で、螺髪の粒は上方は
大きく、下方部は徐々に細く整える。 |
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