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鎌倉五山第一位の古刹。 5代執権北
条時頼が1253年に宋から来日してい
た蘭渓道隆を招いて建立したわが国
最初の禅寺。梶原景時とゆかりのあ
る施餓鬼会を催す禅宗の寺院。 |
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伽藍神像 5躯
像高95〜134cm、禅宗寺院の境内
を守護する中国由来の神。 建長寺
の神像は5体で一対となる。
※@鎌倉国宝館に寄託。 |
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木造北条時頼坐像
像高70p 、寄木造、玉眼入り、彩
色は剥落。第5代執権北条時頼の
狩衣、指貫、烏帽子姿を活写。
※A鎌倉国宝館に寄託。 |
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蘭渓道隆坐像(塔所西来庵安置)
像高62.1cm、瞳に水晶を嵌入。変化
に富んだ深い衣文など力強い造形か
ら、慶派仏師の作造。 |
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高峰顕日坐像(正統院所有)
檜材の寄木造、面相部を割矧ぎ内
刳り、玉眼嵌入。 後嵯峨天皇の皇子 、夢窓疎石 の師。 |
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1282年 文永・弘安の役の両軍の戦
死者を弔うために、8代執権北条時
宗が宋の高僧、無学祖元を招き創
建された。唐様建築最古の舎利殿等を有する。 |
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銅造阿弥陀三尊立像
像高は阿弥陀が42.4cm、観音は
32.8cmで鋳銅製。善光寺式の一
光三尊様式の阿弥陀三尊像。
※B鎌倉国宝館に寄託。 |
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1250年 智覚禅師が見越嶽に創建。
十王堂とも呼ばれ、死者が冥界で出
合う十王を祀る。足利尊氏が古戦場
の亡魂を弔う為由比ガ浜へ移築した
その後の大地震で、現在地に移転。 |
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初江王坐像(幸有作)
像高103p、 寄木造。慶派の流れと
宋風が混じった様式で、東国の鎌倉
彫刻中でも屈指の優品。
※C鎌倉国宝館に寄託。 |
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閻魔王坐像
像高190.5cm、頭部が鎌倉時代体
部は江戸時代。 笑い閻魔・人食い
閻魔と呼ばれる。 |
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03-3 鎌倉後期 |
倶生神坐像阿形(1)
像高は阿形が99.5cm、吽形は100.
7cm。寄木造、彩色、玉眼仕上げ。
阿形・吽形の2躯がある。
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倶生神坐像吽形(2)
人の誕生時からその左右の肩にい
て、その所業の善悪を すべて記録
して、死後は閻魔に提出する。
※D鎌倉国宝館に寄託。 |
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奪衣婆坐像
像高約90cm。着衣をつけ、堂々と
座る、優れた像である。 像内の銘
で16世紀前半に制作。 |
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鬼卒立像
総高 78.9cm。 閻魔大王の眷属で
地獄に落ちた亡者を責める役割を
果たす。
※E鎌倉国宝館に寄託 |
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1285年、北条時宗の正室覚山尼が
創建。 後醍醐天皇の皇女用堂尼や
豊臣秀頼の娘天秀尼などの息女が
住持を務る駆込み寺。明治の縁切り
寺法の廃止で男僧の禅寺寺となる。 |
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聖観音立像
像高134.5cm、寄木造、彩色、土紋
置、玉眼入り。衣文に厚手に彩色し
細かく土紋をほどこす。 |
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木造上杉重房坐像
像高68.2cm、木造、彩色、玉眼。目
尻、厚めの唇、山羊鬚が特徴。上杉
重房は関東管領の祖。
※F鎌倉国宝館に寄託。 |
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1281年に北条時頼の 三男、宗政の
菩提を弔うために創建。最盛期には
七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達
した。その後 自然災害により多数が
倒壊。今日の伽藍は近年に復興。 |
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1256年に8代執権北条時宗が 蘭渓
道驍開山として禅興寺を建立。 明
月院は禅興寺の塔頭として上杉重房
から三代目の 上杉憲方が建立。あじ
さい寺とともいわれる。 |
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地蔵菩薩
像高66cm、寄木造、着色。関東大
震災で受けた亀裂が頭部に残る。
聖比丘地蔵とも呼ばれる。 |
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瑞泉寺・夢窓国師坐像
像高120cm、寄木造、彩色、玉眼入
り。 温和な表情、なで肩を写実的に
頂相彫刻の秀作といわれる。 |
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夢想疎石が1327年に建立。疎石に帰
依した 鎌倉公方足利基氏は、寺号を
瑞泉寺と改め、菩提寺とする。疎石は
歴代天皇から 国師号を賜与された臨
済宗の名僧。 |
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疎石の作庭による方丈書院の禅宗様庭園は埋もれていたが1970年にほぼ当初の地割にしたがい復元。 |
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1218年に北条義時が 建立した大倉
薬師堂が前身。1296年 北条貞時が
外敵退散を祈念して寺に改める。
その後、足利氏の比護を受けたが、
火災により伽藍の大部分を失う。 |
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薬師三尊中尊
像高244cm、寄木造 頭部が鎌倉期
の作造。蓮台の周りに衣の裾を長く
垂らした宋風の裳懸座。 |
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日光菩薩・月光菩薩
像高150cm、 寄木造、脚を崩して胡坐をかいた姿。台座下に法衣を垂下する形式。 |
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十二神将(戌神将像)
像高亥神像189.7cm、最小戌神像
が152.6cm、ヒノキ材の寄木造。 |
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地蔵菩薩
像高170.4cm、像の全体が薫香の
ためか黒色にかわり、黒地蔵と呼
ばれる。 |
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1104年の創建で日本三大天神の一
つ。学問の神様菅原道真をまつる。
鎌倉幕府の鬼門を守る神として崇め
られる。その後、徳川代々の将軍も
これを崇め、修理や寄進を行った。 |
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天神坐像 (1)
像高83.5 cm、木造、彩色。道真の等身像で 像内に、脊椎骨や体毛の数などが記載される。 |
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天神坐像 (2)
激しい憤怒の表情をみせる怒り天
神の像容。像内に木製の五臓六腑
が納められていたという。 |
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734年に行基が創建し十一面観音像
が安置された。1189年の火災の際に
本尊は自らが大杉の下で難を逃れた
と言われる。1191年に源頼朝が再興し、新たに十一面観音像を寄進した。 |
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1235年に鎌倉幕府の4代将軍藤原
頼経が 将軍屋敷の鬼門除けとして
創建。 江戸期の火災で焼失したが
その後、再建された。本尊は不動明王を中心とする五大明王である。 |
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十一面観音(伝円仁作)
像高166.7cm、寄木造、漆箔仕上げ。渦文や膝下のU字形の衣文に平安
時代風を残す。 |
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十一面観音(伝源信作)
像高142cm、寄木造、玉眼、漆箔
仕上げ。腰の下で天衣が1本横切
る。 |
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1279年に作阿上人が開山。 本尊の
阿弥陀如来像は「頬焼阿弥陀」の名
で知られ、 盗みの疑いをかけられた
法師の身代わりになり頬に焼印が残
ったという。 |
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不動明王
像高84cm、針葉樹材の寄木造、玉眼、十九観の姿。 作造は肥後定慶
をあてる説が有力である。 |
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阿弥陀三尊中尊
像高100cm、寄木造、漆箔仕上げ。
左足を前に出し来迎印を結ぶ。運
慶作と言われる。 |
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両脇侍立像・観音、勢至菩薩
像高60cm、寄木造、漆箔仕上げ。
観音は快慶、勢至菩薩は湛慶作
と言われる。 |
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1188年に足利義兼が開創。 開山は
退耕行勇。行勇は、栄西門下で臨済
禅を修めた高僧。 源頼朝、政子、実
朝も 帰依した大寺院であったが、現
在は総門、本堂、客殿、庫裡が残る。 |
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木造退耕行勇坐像
重源・栄西の跡を継いで東大寺の
第三代大勧進職に任じられた。像
は本堂背後の開山堂に安置。 |
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地蔵菩薩立像
像高167.5cm、蓮華座までが一木
から作られた。 内刳りもなく、この
時代には珍しい構造。
※G鎌倉国宝館に寄託。 |
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1200年、北条政子が頼朝の菩提を
弔うために明庵栄西を招いて創建。
三代将軍実朝もしばしば訪れた。
数度の火災で往時の堂宇は 焼滅。
現在の堂宇は江戸初期の再建。 |
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銅造薬師如来坐像
像高53.5cm 。北条政子発願で鋳造
鶴岡八幡宮に安置。 明治の神仏分
離で壽福寺に移管。
※H鎌倉国宝館に寄託。 |
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1251年に6代執権北条長時が創建。
1335年足利尊氏がこの寺に篭り、挙
兵の決意を固めた。 尊氏、直義兄弟
の帰依により、 多くの寄進が行われ
た。鎌倉足利氏の菩提寺として栄える |
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宝冠阿弥陀三尊中尊
像高140cm、ヒノキの寄木造、玉眼
嵌入。鎌倉独特の装飾技法である
土紋が施されている。 |
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観音菩薩坐像
像高 100cm、髷を高く結い、袈裟を
着ける。衣の襞は複雑なうねりを見
せる。 |
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勢至菩薩坐像
衣のひだが揺れるように表現。顔
は少し丸く表情も明るい。 片足を
にはずした形で座る。 |
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1636年、水戸徳川家祖徳川頼房の
養母 英勝院尼が 太田道灌の屋敷
跡に創建。 水戸徳川家の姫が代々
住持を努めた鎌倉唯一の尼寺。
江戸初期の仏殿、 唐門などが残る。 |
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阿弥陀三尊龕
総高 5.3p、 白檀材の内部に像を
彫り残す檀龕仏で携行用仏龕。 体
や表情に平安中期の特色を残す。
※I鎌倉国宝館に寄託。 |
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宇佐・石清水と共に三大八幡宮の
一つ。源頼義が、石清水八幡宮を
由比若宮に勧請した、後に源頼朝
が現在地に遷座した。鎌倉武士の
守護神で、崇敬を集める。 |
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木造弁才天坐像
像高 95.8 cm、寄木造、玉眼嵌入
彩色仕上げ。裸形彫刻で腰布1枚
で足をくずして座る。
※J鎌倉国宝館に寄託。 |
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地蔵菩薩坐像
像高約90.3cm、桧の寄木造。赤子
の世話や毎晩経を読むとの伝承か
から子育経読地蔵の別名。 |
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歓喜天立像
像高 155cm 。桧の寄木造、衣文の
一部に土紋の跡を残す。古代インド
のガネーシャ神。 |
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1335年の新田義貞による 鎌倉攻め
で滅んだ北条一族の霊を弔うために
後醍醐天皇が足利尊氏に命じて14代
執権北条高時の旧居跡に建立。建武
中興後も足利氏の庇護を受けた。 |
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1238年に造り始め、6年後に木造の
大仏が完成した。その後の台風で倒
壊。1252年に青銅の大仏を作り始め
る。1495年に大仏殿が、に津波で流
失し、大仏は現在の様な露座となる。 |
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国宝:銅造阿弥陀如来坐像
像高12.38m、総重量121トン。宋の
様式と慶派の影響が融合した鎌倉
の独自の様式。 |
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奈良で1本の楠から2体の十一面観
音像を彫り、1体は桜井市の長谷寺
に、もう1体は海に流し、鎌倉に流れ
着いたとの伝承。寺の梵鐘の銘文か
ら創建は鎌倉後期。 |
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木造十一面観音立像
像高918cm、楠の一木造。日本最
大級の木造仏像。左手に水瓶、右
手に錫杖を持つ長谷寺様式。 |
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1259年に2代執権北条義時の三男
重時が創建。開山は 忍性。全盛期
には 金堂、講堂 三重塔ほか49の
塔頭を備えた大寺院であったが、兵
火、地震により山門と本堂を残す |
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釈迦如来立像
像高は157.8cm、清凉寺式釈迦如来
と呼ばれる。転法輪殿に安置され秘
仏とされる。 |
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十大弟子立像 10躯
像高85.9p、ヒノキの寄木造、玉眼
嵌入 。十大弟子像の最後を飾る貴
重な一群。 |
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釈迦如来坐像
像高 90cm、ヒノキの寄木造、玉眼
嵌入。全国で2例しかない転法輪の
印を結ぶ。転法輪殿に安置。 |
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不動明王坐像
像高91.5cm、ヒノキの一木造。表情
は通例の不動明王ながら平安後期
の作造らしく温和である。 |
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関東大震災での教訓から、文化財を
保護し公開することを目的に1928年
に設立された。所蔵作品は4800点に
のぼり鎌倉から室町期の代表的な仏
像や絵画工芸品などを展示している。 |
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