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千手観音立像 (1)
像高 51cm、イヌガヤ材。蓮肉まで
含めて根幹部は一木造。比叡山延
暦寺の中で最古のもの。 |
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千手観音立像(2)
髪に群青、唇に朱を施し、全身に
黄色の彩色の檀像。 切れ長の目
に尖った鼻、口を深く彫り込む。 |
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維摩居士
像高は34.8cm、一木造で彩色仕
上げ。インドの資産家で、在家の
まま大乗仏教を極め釈迦の弟子
を論破。 |
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薬師如来
像高約125cm、クスノキの一木造。
螺髪は大きく、肉髻は高く地髪部
から立ち上がる。 |
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大黒天(1)
像高83.3cm、一木造り、彫眼、素
地仕上げ。右手に鍵を持ち 光定
大師像ともよばれる。 |
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五大明王(不動明王二童子像)
像高67cm 、桧材の寄木造、玉眼、彩
色 仕上げ。左眼は瞋眼、左手に羂索
をもち、右手に剣をとる。肉身は群青
彩とした青不動である。 無動寺伝来 |
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大黒天(2)
本来は大黒天であったが、 信仰
上の理由から最澄の高弟である
光定大師として崇められる。 |
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五大明王(降三世・軍荼利)
像高80.7cm降三世 84.1cm軍荼利 、
桧材の寄木造、玉眼、彩色 仕上げ。
降三世は足下に大自在天と烏摩をふ
みつける。軍荼利 は蛇が巻き付く。 |
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不動明王二童子像
像高は不動明王が50.9p、矜羯羅
童子24.5cm、制タ迦童子は24.8cm。
左手を向く明王を二童子が見詰める。
玉蓮院蔵。 |
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五大明王(大威徳・金剛夜叉)
像高73.1cm大威徳86.8cm金剛夜叉
桧材の寄木造、玉眼、彩色 仕上げ。
大威徳は六足で水牛に乗る。金剛夜
叉は金剛杵と金剛鈴をとる。 |
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不動明王二童子像
像高85.4cm、頭体の一木造。直毛で
両眼を見開き、下歯で上唇を噛み、
牙を上出させる。真言系の大師様を
取り入れた古式の作造。 伊崎寺蔵。 |
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7世紀に大友氏が氏寺として創設。
9世紀に唐から帰国した円珍によっ
て再興され天台寺門派の総本山と
なる。天智・天武・持統天皇の産湯と
なる霊泉があり三井寺と言われる。 |
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1598年に創建。正面三間、側面二間
宝形造で桧皮葺。 堂内には、二体の
智証大師像と黄不動 尊立像の 三体
が安置される。 |
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国宝:智証大師円珍坐像(1)
像高は84.3cm、ヒノキの寄木造、彩
色仕上げ。秘仏のためか彩色もすぐ
れてよく残る。 |
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国宝:智証大師円珍坐像(2)
中尊大師は円珍派の本尊で大師堂
の中心に坐す。円珍の100回忌の法
要を機会に作られた。 |
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国宝:智証大師(御骨大師) (1)
像高86.3cm、ヒノキの寄木造彩色。
大師入滅後、その姿を模刻し像内
に遺骨を納める。 |
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国宝:智証大師・御骨大師(2)
右ひざが下がるなど人間的な特徴を
忠実に表現する。円珍が亡くなった
891年に、御骨大師は作られた。 |
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国宝:新羅明神(2)
新羅明神は、円珍が唐からの帰途
船中に現れ教法加護を約する。 |
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25-5 鎌倉 |
不動明王立像(黄不動)
像高159.8cm、木造、彩色仕上げ。智
証大師が洞窟で修行中に金色の不動
明王を感得し、描き留めた黄不動像を
忠実に模刻。 |
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智証大師生誕1200年記念事業として
2014年に開館。狩野光信による勧学
院客殿障壁画をはじめ十一面観音立
像、訶梨帝母倚像などの重要文化財
が収蔵、公開されている。 |
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切妻造平入りの屋根に反りを付し
その前流れを長くして 向拝とする
流造の代表的遺構 。 |
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十一面観音立像
像高81.8cm、桧材の一木造。裳は
朱彩され、截金による花文が残され
ている。眉や唇、衣文の彫りは鋭く
快で、衣には渦文が見える。 |
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如意輪観音
像高91.6cm、桧材の寄木造、彫眼、
表面は後補の漆箔仕上げ。丸頭に目
鼻や口をバランスよく配し、胸から腹
部にかけてのくびれをカーブさせる。 |
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国宝:新羅明神 (1)
像高78cm 、一木造、彩色、截金。
頭髪に細かな毛筋を刻み、着衣に
は彩色と金銀截金で文様を配す。 |
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智証大師坐像
像高39.0p、彩色仕上げ。優美な彩
色が施され、唐院大師堂の像に比べ
衣が厚く彫られる。像底には納入品
を入れた円錐形状の刳り込みがある |
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愛染明王坐像
像高92.1cm、桧材の寄木造、彩色仕
上げ。体形は細身に造られ、衣文の
彫りは浅く穏やかな表現で、総じて温
和な作風を示す。 |
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吉祥天立像
像高67.6cm、 桧材の寄木造 、玉
眼、彩色仕上げ。誇張のないごく自
然な彫り口で、衣文の表現も巧みで
写実性に富んだ気品がある。 |
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三井寺観音堂
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南院札所伽藍の中心建築で、後三条
天皇の病気平癒を祈願して1072年に
創建される。その後、現在地への移
築と焼失を経て、1689年に再建され
た。本尊は如意輪観音。 |
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1727年に創建。円珍(智証大師)の
護法神として篤い信仰を集める。鬼
子母神を祀る。 |
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護法善神立像(1)
像高159cm、檜の一木造。鬼子母神
の千人の子を千個の団子で供養する
千団子祭が行われる。善神堂の本尊。 |
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護法善神立像(2)
円珍が5歳の時に降臨した女神を彫
刻した像と伝えられる。 |
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鬼子母神
像高は43.9cm、ヒノキの寄木造、彩
色、玉眼、截金仕上げ。鮮やかな色
彩がよく残る。 |
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聖武天皇の夢告を受け、良弁僧正を
開基とし本尊の秘仏如意輪観音像を
祀って開かれた。奈良時代からの観
音霊地とされる。 |
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維摩居士
像高49.5cm、桧材の一木造、彩色仕
上げ。像底から内刳があるが、正面
と背面には大きな干割れが生じる。
翻波式衣文がみえる。 |
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平安時代に観音信仰が盛んになると
朝廷や摂関貴族などから多くの崇敬
を集めた。1194年に建立した多宝塔
は現存最古のもの。 |
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不動明王坐像
像高86.7cm、檜材の一木造り。髪形
は綺麗に整った総髪で、両目を見開
き、上唇で下唇を噛み、両牙を下方
に出す大師様。 |
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如意輪観音半跏像(1)
像高293.9cm、檜寄木造り、漆箔、
泥文様。1096年頃の作造。右手に
宝珠をのせた蓮華を持つ。左手は
与願印。 |
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毘沙門天、増長天、持国天
像高毘沙門天262.1cm、瀬田にあっ
た毘沙門堂から移される。持国天
162.1cmと増長天158.8cmは一具で、
毘沙門天とは別に制作された。 |
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如意輪観音半跏像(2)
日本で唯一の勅封秘仏。33年に1
度開帳。一般的な六臂、輪王坐の
如意輪観音と異なり二臂、遊戯坐。 |
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兜跋毘沙門天
像高174.2cm、一木造、彩色仕上
げ、内刳りなし。地天女の掌上に立
ち、尼藍婆と毘藍婆を足元におく。
海老籠手、金鎖甲の兜跋形式。 |
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大日如来坐像(1)
像高102cm、寄せ木造。張りがある
端正な面相は、目じりが上がる意思
的な表情を示す。 |
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大日如来坐像(2)
1194年に源頼朝が寄進した多宝塔に
に安置。 頭部内の墨書アン阿弥陀仏
から快慶の作品と判明。 |
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最澄が創建後 源信が念仏の道場
として再興。旧坂本城から移築した
表門がある。当寺は織田信長に仕
えた森蘭丸の父森可成の墓所であ
ったため比叡焼打ちの難を逃れた。 |
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銅造薬師如来立像
像高約40cm 金銅の立像。口元に
微笑みを浮かべ直立する。衣の襞
はしっかりと刻む。 |
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十一面観音
像高は 約170cm、ヒノキの一木造、
内刳りが有る。丸顔で均整の取れた
体形である。菅公作と言われる。 |
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釈迦如来
像高約70cm、ヒノキ寄木造、玉眼。
衣文の深く太い線条、鋭いつり目な
ど鎌倉慶派の特徴を示す。 |
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地蔵菩薩
像高は約65cm、小振りな立像。足
ほぞに銘があり、 鎌倉最末期に院
芸と言う仏師が作造。 |
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日光菩薩
像高は108.cm、ヒノキ寄木造。元々
京都の国清寺に伝来した。鎌倉期
に頼弁という仏師が造立。 |
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越前朝倉氏の家臣である 杉若盛安
が再興。桃山御殿の異名をとる荘厳
な客殿、聖衆来迎図を表したという
江戸期の庭園、穴太衆による城郭の
ような石垣などが残る。 |
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十一面観音(1)
像高は約180cm、桧の一木造。4本
腕の中央手は合掌し、脇手2本は蓮
華と錫杖を持つ。 |
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十一面観音(2)
ふくよかな容貌、太く力強い線状や
渦文が刻まれる衣文など平安前期
彫刻の要素を含む。 |
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聖徳太子が 高麗僧慧慈のために
創建。室町期に真盛上人が入山し
不断念仏の道場とする。以来、天
台真盛宗の総本山となる。比叡山
焼き討ちで焼失。明智光秀が復興。 |
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阿弥陀如来像
像高278cm、寄木造、彫眼。手は定
印を結ぶ。台座は後補だが、光背は
当初部分が多い。 |
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薬師如来
像高は88cm、寄木造、漆箔仕上げ。
漆箔は剥がれ黒ずんだ肌となる。左
手に薬壺をもち そこに右手を寄せる
珍しい印相。京都法勝寺伝来の秘仏。 |
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平安初期に延暦寺の相応が 回峰
行の道場として創建した。境内には
伽藍が立ち並ぶ。相応が滝壺に飛
び込んで霊木を引き上て 不動明王
を自ら刻んだという三の滝がある。 |
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千手観音
千手観音を中心に左右に不動明王
と毘沙門天を 脇痔とする三尊形式
は天台宗に独特のもの。 |
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毘沙門天
円仁が唐からの帰国時に船が嵐に
遭い、観音菩薩に安全を祈ったとこ
ろ毘沙門天が現れて船を守った。 |
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不動明王
帰国後に横川に聖観音と毘沙門天
を安置する。のちに良源がそこに
不動明王を加えた。 |
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