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鞍馬寺 京都市左京区鞍馬本町
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770年 鑑真の高弟鑑禎が毘沙門天を
祀る鞍馬寺を開山。 京都の北方守護
の寺として 信仰を集める。本尊として
千手観音、毘沙門天、護法魔王尊が
三身一体となった「尊天」を祀る。 |
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鞍馬寺 霊宝館
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宝物殿では 国宝毘沙門天、吉祥天
善膩師童子立像、鞍馬寺経塚遺物
観音菩薩立像、銅燈籠など 展示保
管展示する。 |
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国宝:兜率毘沙門天(1)
像高 175.7cm 、トチの一木造、素地
仕上げ。 右手に戟を持ち、左手は額
に当て 望遠する。三尊一具は全国に
3例。高知の雪渓寺、福井の青雲寺。 |
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国宝:兜率毘沙門天立像(2)
左足は外に向け前に出す特異な形
態。両手は後補で 本来は、左手で
戟を支え、右手は腰に当てる。 |
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国宝:吉祥天立像(1)
像高 100.3cm、ヒノキ材の一木造。左
手に宝珠を載せて、右手は 側体に垂
らし与願印を結ぶ。 |
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国宝:吉祥天立像(2)
毘沙門天の配偶神ともいう。ふくよか
で、穏やかな表情。 胎内に奥書経巻
が納められていた。 |
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国宝:善賦師童子
像高95.4cm、トチの一木造、素地仕
上げ。美豆良の髪型に、左手に経典
が入る宝篋を載せる。 |
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三千院 京都市左京区大原
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8世紀比叡山に建立された 円融房が
起源。 後に坂本、洛中を転々として
1871年大原にある政所に移った。
その際に 国宝・阿弥陀三尊像を安置
する極楽院を吸収合併する。 |
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1148年頃に亡夫の菩提を弔うために
建立。桁行四間・梁間三間、単層、柿
葺きの入母屋造。藤原時代の阿弥陀
堂建築になる。 内部は阿弥陀が極楽
浄土から来迎する様子を表現。 |
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国宝:阿弥陀三尊像
故人を迎えに来る来迎形式で、両脇
侍は 跪坐し膝を少し開き、上半身を
前屈みにする。 |
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国宝:阿弥陀三尊中尊
像高232.0cm、木造、漆箔仕上げ。
右手を胸の前に左手を下げる来迎
印を結び台座に坐る。 |
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国宝:阿弥陀脇侍・観音菩薩
像高 132cm、観音菩薩は膝を少し開
き、上半身を前屈みにして 死者の霊
魂を載せる蓮台を捧げる。1148年に
作造された。 |
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国宝:阿弥陀脇侍・勢至菩薩
像高132cm。勢至菩薩は膝を少し開
き、上半身を前屈みにして合掌する。1148年に作造された。 |
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峰定寺 京都市左京区花背原地
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大悲山の中腹にある。1154年、観空
の創建、本山修験宗。崖に張り出した
本堂(重文)は、わが国最古の舞台造
り建築、修験道場で奈良の大峰山に
対し北大峰と呼ばれる。 |
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03-1 平安後期 |
千手観音三尊像・中尊
像高31.5cm、白檀の一木造。 都風
の入念な作で、本体・台座には繊細
な切金文様を施し、光背には透彫の
銅板を貼る。 |
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03-2 平安後期 |
不動明王・二童子
像高50cm 脇侍25cm、桧材の割矧ぎ
造、彩色仕上げ。忿怒の表現は抑制
され、穏やかな表現。二童子は、動き
はやや硬いが、表情は豊か。 |
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03-3 平安後期 |
毘沙門天立像
像高50cm、玉眼使用の早い例。忿
怒の表現は抑制され、穏やかな表現
になる。片足を上げ、両腕ともに胸ま
で上げる。動きのある体勢である。 |
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西明寺 右京区梅ケ畑槇尾町
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9世紀に空海の高弟智泉大徳が神護
寺の別院として創建。 1290年に神護
寺より独立。 室町末の兵火で焼失し
荒廃。1602年に明忍律師により再興
徳川綱吉の母 桂昌院が本堂を寄進。 |
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04-1 鎌倉 平安後期 |
釈迦如来立像
像高51cm、素地仕上げ。表面は赤く
染め、衣に截金文様を施し、耳に珠を
嵌める 清凉寺の釈迦如来像を模して
運慶が作造と伝わる。 |
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04-2 鎌倉 |
千手観音立像
像高175cm、合掌する中央手2手と
40手の脇手をもつ。 表情はやさしく
女性的で、子授けの霊験があるとい
う。 |
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福徳寺京都市右京区京北下中町寺
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711年、聖武天皇の勅願で行基によ
って創建。その後1579年、明智光秀
が周山城を築いた時、寺を壊して城
の用材としたため廃絶した。 現在の
建物は江戸時代に再興されたもの。 |
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05-1 平安後期 |
薬師如来坐像
像高104.8cm、桧材の一木割矧ぎ造
漆箔仕上げ。右手は施無畏印、左手
に薬壺を載せる。宣字形裳懸座、舟
形の板光背。胸部に翻波式衣文。 |
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05-2 平安後期 |
持国天・増長天立像
像高・持国天119.9cm、増長天121.
4cm、 一木割矧造、彩色仕上げ。
垂髷、鮨袖縁に花弁状の切り込み、
天冠台上縁に花形が見ら れる。 |
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大将軍八神社 京都市上京区一条通
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794年、桓武天皇が、北西から来る
悪霊を追い払うため 星神大将軍を勧
請し、御所の北西隅に創建した。大将
軍は 方除け厄除けの神 として古くか
ら人々の信仰を集めている。 |
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06-1 平安中期〜末期 |
大将軍神像 (1)
桧材、欅材の一木造。像高は立像
140?160cm、坐像30cm〜100cm。
武装像50体、束帯像29体、童子像
1体の計80体を数える。 |
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06-2 平安中期〜末期 |
大将軍神像 (2)
すべて男神像で、武装像は鎧兜をつ
け、怒りの目をする。 束帯像は冠を
かぶり、平安貴族のような服を着る。 |
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06-3 平安中期〜末期 |
大将軍神像 (3)
密教や陰陽道の宇宙観をあらわす「星曼荼羅」の世界を、星を司る神像を並べて立体的に表現した立体星曼荼羅である。 |
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遣迎院 北区鷹峯光悦町
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鎌倉初期に九条兼実が快慶に命じて
釈迦と阿弥陀の二尊を造像させ自邸
の月輪殿に祀ったのが始まり。その
後、法然の高弟・善恵房証空を開山
に招き、遣迎院として創建された。 |
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07-1 鎌倉 |
阿弥陀如来立像
像高約1m、 桧材の寄木造で玉眼、
截金、金泥仕上げ。衣文線は簡潔に
生き生きと彫りだす。 足ほぞの「アン
阿弥陀仏」銘記から快慶作と判明。 |
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07-2 鎌倉 |
釈迦如来立像
像高約1m、桧材の寄木造、玉眼、漆
箔仕上げ。 左手は肘を曲げ、掌に鉢
を載せている。 衣のひだは変化に富
み、肩、腹、股間で細かく刻む。 |
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清水寺 京都市東山区清水
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778年に僧延鎮が開山した。平安建
都間もない798年坂上田村麻呂が仏
殿を建立。現在の主な堂塔は 1633
年徳川家光の再建。本堂は 寄せ棟
造の檜皮葺。 |
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奥の院・三面千手観音坐像(1)
像高64.9cm、一木割矧造、素木仕上
げ。正面・右左の3顔と頭上の24小面
計27面をもつ。 |
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奥の院・三面千手観音坐像(2)
通常の観音像比べ脇手が 2本少ない
い36本。正面の合掌手と定印手各2本
を合わせ40本となる。 |
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本堂・千手観音立像(1)
像高173cm、ヒノキの寄木造、玉眼
素木仕上げ。 正面の合掌手と定印
手で4本、脇手38本。 |
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本堂・千手観音立像(2)
42本の手のうち、 脇手の左右各1本
を頭上に伸ばして組み合わせ、小化
仏を戴く 清水型観音。 |
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08-5 江戸初期 |
二十八部衆 (1)
像高1.3〜1.4m、桧材の寄木造、漆
箔、彩色仕上げ。躍動感ある姿を残し
ている。彫刻の特徴から慶派の流れ
を汲む七条仏師によって作造された。 |
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二十八部衆 (2)
海・陸・魚・蛇・鳥・人間・天などの各世
界で威力を発揮する善神たち。仏教成
立以前から古代インドで信仰されてい
た神々などを仏教に取り入れた。 |
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1236年、藤原道家が法性寺の寺地に
建立を発願。1273年、大伽藍が完成し
禅、天台、真言僧の三宗兼学の道場と
して栄えた。14世紀の火災により伽藍
は焼失、1347年に仏殿を再興。 |
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釈迦如来
像高263.5cm、 肉髻の低さ、 爪の長さ
に宋代の影響がある。日本における宋
風彫刻の展開や禅宗寺院における造
像を考えていく上で重要。 |
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迦葉・阿難立像
像高・迦葉189.0cm、阿難193.08cm。
京都の禅宗寺院の創建当初の像とし
て貴重とされる。 |
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阿弥陀如来坐像
像高238.0cm 穏やかな面ざし、スリム
な肢体、一見して「定朝様」が伺われ
る。像内の全面に漆箔がある。 |
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金剛力士像
像高・阿形203.0cm、吽形207.3cm。
玉眼嵌入、彩色仕上げ。力強く安定し
たプロポーションで、眼光鋭く相手を威嚇
し、筋骨たくましい。 |
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二天王立像
像高・阿形336.8cm、吽形332.5cm、
玉眼、金泥塗、彩色仕上げ。 阿形は
右手を上げ、左手を腰に、右足で邪鬼
を踏む。吽形はその逆の姿をとる。 |
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地蔵菩薩坐像
像高85.2cm 寄木造、玉眼 、漆箔仕上
げ。左手に宝珠、右手人差し指を立て
る。 白毫に水晶が入る。 肉身に金泥
彩が残る。 |
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僧形坐像
像高82.8cm 、寄木造、玉眼 古色仕上
げ。蓮華合掌する。写実的な表現がな
されている。像主は不明。台座も失わ
れている。 |
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1444年に東福寺が創建した塔頭。藤
原道長が仏師康尚(定朝の父)に作ら
せた 不動明王坐像を本尊として五大
堂に祀る。 同聚院はその五大堂を本
堂として建立されている。 |
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不動明王坐像(1)
像高 265cm、一木造。日本最大の木
造不動明王坐像。総髪で両眼を見開
き、上の歯で下唇を噛む。 |
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不動明王坐像(2)
モルガンお雪がこの不動明王を信
仰したことで、働く女性を守る 本尊
として多くの女性が信仰する。 |
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924年藤原忠平が創建する。藤原氏の
寺として繁栄したが、応仁の乱で被害
を受け衰退する。現在の法性寺は 明
治維新後に旧名を継いだもの。 |
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国宝:千手観音立像(1)
像高 約110cm、サクラ材の一木造。壇
様式で合掌手や宝鉢手も同じ材を用い
て継ぎ足す。 |
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国宝:千手観音立像(2)
正面と左右の憤怒面・菩薩面、その頭
上に24面を頂き、計27面を持つ珍しい
作例。 |
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1600年深誉が 現在の京都市下京区
に創建。1650年に後光明皇后の安産
祈願の勅命が 下って以降、安産の寺
として親しまれれている。 |
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明治大正期に安産のお札を京都中を
走りながら 宅配した大蓮寺の僧侶。
今一休と呼ばれた。 |
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薬師如来立像(1)
かつて祇園社の観慶寺薬師堂にあっ
たが神仏分離で観慶寺が廃絶した後
に大蓮寺に移された。 |
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薬師如来立像(2)
像高192cm、檜材の割矧造、肉身部
は、漆箔仕上げ。衣部の彩色は現状
ではほとんど剥落。 |
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853年、空海の弟子真紹が藤原関雄の
山荘を譲り受け、真言宗の道場とした。
永観堂の通称は、7代目住職の永観
が、境内に治療院を建て庶民の医療に
尽力したことから、永観堂と呼ばれる。 |
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阿弥陀如来立像
像高77.6cm、「みかえり阿弥陀」の通
称で知られる。頭部を左方を向くとい
う特殊な姿勢をとる。 |
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皇族の子弟が歴代住持となる門跡寺院
で、青蓮院、三千院とともに「天台三門
跡」と称される。後白河法皇ゆかりの寺
院としても知られる。近世には方広寺や
三十三間堂を管理下に置く。 |
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不動明王立像
像高133cm、カヤ材の一木造、内刳り
無し。 両眼を見開き、上歯牙で下唇を
噛む大師様の図像に基づく古様な表
現。 東京博物館に寄託。 |
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普賢菩薩騎象像
像高約60cm、桧材の割矧ぎ造 、漆箔
仕上げ。なで肩で細身 、まげは低く結
う。目は細め、鼻口顎は小さく作る。 |
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1189年、左大臣・藤原経宗の没後に経
宗邸を寺にしたのが始まりと伝えられ
る。その後、転々として1708年頃に
現在地に落ち着いている。 |
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阿弥陀如来坐像
像高236.0cm、寄木造、漆箔仕上げ。
1075年、白河天皇により建立された
法勝寺の丈六遺仏。後補の化仏三千
体を配した光背は圧巻 |
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1175年、法然が浄土宗の確立のため
に、比叡山の黒谷にならい、庵を結ん
だのが始まり。以降、浄土宗の念仏道
場として栄え、後光厳天皇から金戒の
二字を賜り、金戒光明寺と呼ばれる。 |
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千手観音立像
像高162cm、一木造、背面内刳りあり。
腕手、足先は後補が多いものの、安定
感がある。遣唐使吉備真備の難を救っ
た観音として知られる。 |
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建仁寺の塔頭寺院。境内には平安初
期の公卿で学者、歌人としても名高い
小野篁が冥界へ通ったという伝説の井
戸があり、閻魔堂には閻魔大王像と小
野篁像を祀る。 |
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薬師如来坐像
像高125.3p、 一木造、漆箔仕上げ。
体内は鉛顔料で赤く塗られている。
2023年の修理で頭と胴体は1本の木
材で、平安前期のものと判明。 |
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824年に創建された真言宗の古刹。
空海が 14年間住持し最澄が法華経
の講義を行っている。その後、荒廃し
たが、平安末期、文覚上人が再興。 |
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1934年に再建された金堂の須弥壇中
央の厨子に国宝の薬師如来立像を安
置する。両脇に重要文化財の日光・月
光菩薩立像と十二神将立像、四天王
立像が並ぶ。 |
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金堂・国宝:薬師三尊中尊(1)
像高 170cmほどのカヤの一木造檀
像様式。全体は木地のままで、唇な
ど一 部だけが彩色。 |
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金堂・国宝:薬師三尊中尊(2)
顔の彫りが深く螺髪が大きい。 肉厚
で重厚感のある体躯に、翻波式衣文
の衣をまとう。左手に薬壺を持つ。 |
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神護寺・薬師三尊・月光菩薩
像高約150cm、本尊と同じ内ぐりの
ない一木造。顔などは後補。 |
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神護寺・薬師三尊・日光菩薩
日光菩薩像は右胸、右腕と下半身が
当初部のもの。月光菩薩像はわずか
に膝下だけが当初のもの。
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845年に仁明天皇の発願により、創建
された。応仁の乱で焼失後、現在の多
宝塔は、1934年に篤志家の寄進で再
建された。 塔内には国宝の五大虚空
蔵菩薩像が安置されている。 |
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多宝塔内部の須弥壇の上に、5体の
菩薩坐像が、蓮華座に、右足を上に
して結跏趺坐し、横一直線に並んで
いる。
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国宝:法界虚空蔵菩薩(白)
金剛界五智如来の変化身といわれ
ている。富貴成就、天変消除をこの
菩薩に祈って秘法を行う。
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国宝:法界虚空蔵菩薩(白-2)
五大虚空蔵菩薩の修法を金門鳥敏
法といい、変革の年といわれる辛酉
の年に除災のため行われた。 |
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国宝:業用虚空蔵菩薩(黒)
五体とも像高90cmあまり。ほぼ 同形
の坐像で手の形や持物だけが異なる。 |
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国宝:業用虚空蔵菩薩(黒-2)
いずれも一木造で、両腕は ひじから
先に別材を矧ぎ付ける。体部は一材
から彫り出す。 |
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国宝:蓮華虚空蔵菩薩(赤)
細部は部分的に木屎漆で仕上げて
いる。彩色は九世紀末に塗りなおし
た記録があり当初のものではない。 |
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国宝:蓮華虚空蔵菩薩(赤-2)
木製の宝冠、瓔珞、臂釧などの装身
具も後補のもので光背、台座は失わ
れている。 |
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国宝:宝光虚空蔵菩薩(緑)
肉身の色は下記の通り。
@中尊:法界虚空蔵・白色
A東方:金剛虚空蔵・黄色
B南方:宝光虚空蔵・緑色。 |
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国宝:宝光虚空蔵菩薩(緑-2)
C西方:蓮華虚空蔵・赤色
D北方:業用虚空蔵・黒色 |
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国宝:金剛虚空蔵菩薩(黄)
いまは一直線に祀られているが、も
とは、中尊を囲んで他の四体が配さ
れていた。 |
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国宝:金剛虚空蔵菩薩(黄-2)
虚空蔵菩薩としては 5体揃った最古
のもので、例年10月に特別公開され
祈願法要が行われる。 |
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清凉寺の前身である棲霞寺の釈迦堂
に宋の請来仏 釈迦如来を移設。その
後、棲霞寺は衰退し 釈迦堂、阿弥陀
堂は清凉寺に吸収される。 阿弥陀三
尊は現在、霊宝館に展示されている。 |
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987年に入宋僧「然が宋より請来した
釈迦如来立像を安置する。 1701年徳
川綱吉の生母 桂昌院の発願により再
建。 桁行・梁間7間、一重入母屋造本
瓦葺で和様と禅宗様の折衷様式。 |
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国宝:釈迦如来立像
像高160cm、サクラ材造。頭髪を縄
目状に表現し、大衣を通肩にまとい
衣文線を同心円状に表す。 |
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国宝:釈迦如来立像(2)
清凉寺様式と呼ばれる釈迦37歳の
生身を写したもの。インドから中国
を経て日本に伝来した。 |
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旧棲霞寺の 阿弥陀三尊、釈迦如来の
胎内に納入されていた文書、経典、絹
製の五臓六腑の模型など数々の寺宝
を保管展示。 |
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霊宝館・国宝:阿弥陀三尊・中尊
像高178.2cm、ヒノキの一木造漆箔
で仕上げ。元は 棲霞寺阿弥陀堂の
本尊で安置されていた。 |
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国宝:阿弥陀三尊・中尊(2)
嵯峨光仏、源融のうつし顔などと呼
ばれている。 定印 (上品上生印)を
結ぶ阿弥陀仏の最古例。 |
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国宝:阿弥陀三尊・観音菩薩
像高168.3cm、ヒノキの一木造、漆箔
仕上げ。宝冠、瓔珞の装飾が豪華に
なっている。 |
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国宝:阿弥陀三尊・観音菩薩
ほかに類例のない密教の影響を受
けた独自の印である金剛界大日如
来の智剣印を結ぶ。 |
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国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩
像高165.7cm、ヒノキの一木造、漆箔
仕上げ。宝冠に勢至菩薩の象徴であ
る水瓶を付ける。 |
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国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩(2)
広い肩幅、豊かな胸部、下半身、深い
線条の条帛、法衣に平安前期特有の
造作が見られる。 |
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清凉寺霊宝館・文殊菩薩
形は 通例と違い半跏の姿勢で白象に
坐し、持物をとる。東寺講堂の帝釈天
像と全く同一である。
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十大弟子立像(2)
「然上人が釈迦如来像を日本に持ち
帰った後、光背等の追加事業の一環
として彫刻されたもの。元々、釈迦如
来を囲むように安置されていた。 |
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清凉寺霊宝館・普賢菩薩
獅子に乗り、右手に剣、左手に経巻
を持つ。 両手は肘から先が 後世の
補作、剣と経巻も新しい。
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清凉寺霊宝館・
東寺の毘沙門天像を模したもの。長
い外套と鎧を着て、頭上には 鳥をあ
らわす宝冠を被る。
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十大弟子立像(1)
像高78.7〜82.1cm、桧材の割矧造、錆
下地、彩色仕上げ。厨子内、本尊の左
右 に納められている。定朝様式を基調
としつつ衣文には自由な趣が見える。 |
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876年 嵯峨天皇の離宮を寺院に改め
る。 嵯峨天皇の信任を得た空海が離
宮内に五大堂を建てる。旧本尊である
平安後期の五大明王は霊宝館に移管
1975年に現在の本尊を造像した。 |
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日本最古の林泉式庭園。大覚寺が嵯
峨天皇の離宮だった時代に、その林泉
として造られた。周囲約1kmの池の堤
には、桜や紅葉、松が植えられ、池の
中には天神島と菊ケ島が浮かぶ。 |
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1968年に収蔵庫として開創。 その後
増改築し霊宝館に改称。本尊で1176
年円派最後の名匠 明円作の五大明
王像、室町江戸期の五大明王像、愛
染明王像などを安置。 |
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五大明王・不動明王(1)
像高52cm、 檜の寄木造、彩色、截
金仕上げ。怒りの表情は抑えられ、
穏やかな落着きがある。 |
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五大明王・不動明王(2)
右手に邪心や迷いを断ちきる倶利
伽羅剣を左手には悪心を縛り上げ
善心を呼び起す羂索を持つ。 |
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五大明王・降三世明王(1)
像高 66.8cm、檜の寄木造、彩色截
金 仕上げ。定朝の流れを汲む円派
の仏師明円の作。 |
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五大明王・降三世明王(2)
東方の守護神。三面八臂で胸の前で
降三世印を結ぶ。 左足でシバ神を踏
みつけ右足で烏摩妃を踏みつける。 |
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五大明王・軍荼利明王(1)
像高69.5cm、 檜の寄木造、彩色、截
金仕上げ。院政期の仏像らしく、力強
さよりも調和を重視。 |
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五大明王・軍荼利明王(2)
南方の守護神。三目一面八臂。蛇
毒を手足に巻き付け煩悩の滅却を
示す。虎皮で腰を覆う。 |
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五大明王・大威徳明王(1)
像高62.3cm、檜の寄木造、彩色 、截
金仕上げ。 衣の表現で上半身と下半
身のバランスをとる。 |
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五大明王・大威徳明王(2)
西方の守護神。六面六臂六足で水牛
に乗り濁水の中を進む。 梵語では死
神ヤマを降す者を意味する。 |
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五大明王・金剛夜叉明王(1)
像高 68.2cm、檜寄木造、彩色、截金
仕上げ。造形が、そつなくまとめられ
て 気品がある。 |
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五大明王・金剛夜叉明王(2)
北方の守護神。三面六臂。金剛の
硬い力であらゆる煩悩を破壊。 五
つ目は五智如来を象徴。 |
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宇多天皇が888年に創建。以来、法
親王が住持し御室御所と呼ばれた。
御所の紫宸殿を移築した金堂がある。 |
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1927年に建設。仁和寺の創建当時の
本尊阿弥陀三尊像などの国宝や重要
文化財など多数を展示春と秋に一般
公開。 |
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霊宝館・国宝:阿弥陀三尊中尊(1)
像高約90cmの坐像、ヒノキの一木造
上品上生印を結ぶ。全身は金箔で輝
くが、これは後補。 |
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国宝:阿弥陀三尊中尊(2)
後頭部と 躰背面に長方形の穴をあ
けて内剥を行い、蓋板を嵌め、全身
に漆箔をおいている。 |
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国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩(1)
像高120cm余りの立像。中尊と同じ
くヒノキの一木造で、背中からくりを
入れる。 |
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増長天・多聞天立像
像高108.2cm、109.1cm 榧材の一木
造、内刳は無し。古風な製法で、頭部
がやや大きく、ずんぐりとした姿は888
年に造られた阿弥陀像と同時期の作。 |
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国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩(2)
台座の蓮肉の上半分まで一材から彫
り出す。髪は銅板を切ったものをに用
いている。 |
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吉祥天立像
像高166.6cm、一木造、彩色 仕上げ。
唐服をまとい、左手に宝珠を持つのは
普通の表現だが、先がとがった珍しい
帽子をかぶる。 |
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国宝:阿弥陀・観音菩薩(1)
通常、脇侍名は宝冠 に毛仏か水瓶
があるかで判別される。観音菩薩は
化仏、勢至菩薩は水瓶。 |
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愛染明王
像高53.4p、割矧造、内刳りあり。頭体
部を一木で造った後に割り放って腕や
膝を組み合わせる。忿怒相でありなが
ら穏やかな雰囲気は平安後期の特徴。 |
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国宝:阿弥陀三尊・観音菩薩(2)
本両脇侍の宝冠には毛仏や水瓶が
見当たらず、どちらが観音で勢至か
の判別ができない。 |
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文殊菩薩坐像
像高62.5cm、彫眼。上半身の衣の端を
腹上で締め、腰布を細かく端反する衣
紋の波模様は中国宋時代の影響を受
けている。 |
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1911年に完成する。方三間、宝形造
一間向拝付、檜皮葺。内部は一室で
三間幅の仏壇を設ける。平安後期の
様式を踏襲。 |
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国宝:薬師如来坐像(1)
像高11cm、白檀材の小像ながら光背
に七仏薬師と菩薩、台座には 十二神
将を表す。 |
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国宝:薬師如来坐像(2)
本物の白檀を使用した檀像。右手は
施無畏印、左手に薬壺を乗せる。衣
に繊細な截金模様が入る。 |
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858年に文徳天皇が 大伽藍の天安寺
を創建したが、その後に衰微。1130年
に待賢門院が復興し法金剛院とした。
阿弥陀如来は 定朝様の三大阿弥陀の一つ。( 他2例は平等院、法界寺) |
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庭園は日本最古の人工の滝である
青女の滝を 中心とした回遊式浄土
庭園で特別名勝。
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国宝:阿弥陀如来坐像(1)
像高約227cm、檜の寄木造、漆箔仕
上げ。台座の蓮弁には細かな浮き彫
りが映える。阿弥陀定印を結ぶ。
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国宝:阿弥陀如来坐像(2)
定朝の孫弟子の院覚が1130年に作
造。 丈六阿弥陀如来で定朝様の三
阿弥陀 (平等院、法界寺)の一つ。
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法金剛院・十一面観音
像高70cm 寄木造。院派の仏師院統
院吉等が造立した。肉身には金泥彩
着衣には彩色と切金文様。四本の手
に錫杖、蓮華、数珠、水瓶を持つ。 |
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701年に文武天皇の勅命により 秦氏
が社殿を設ける。境内には 亀の井の
名水があり酒造家の信仰を集める。
松尾造といわれる本殿のほかに 拝殿
釣殿 楼門など多くの社殿を保有する。 |
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松尾大社・女神像
像高90cm前後、ヒノキの一木造。市
杵島姫命を表し航海の安全を祈って
宗像大社から勧請された。
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松尾大社・老年男神像
像高は90cm前後で ヒノキの一木造。
松尾大社の御祭神である大山咋神を
表わす。
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松尾大社・壮年男神像
像高は90cm前後でヒノキの一木造。
大山咋神の御子を表わす。 |
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持統天皇が夢で啓示を受け、薬師如
来を本尊として679年に創建された。
京都で一番小さな拝観寺院と言われ
る。 |
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国宝:菩薩半跏像(1)
像高88.2cm、台座までカヤ材のほぼ
完全な一木造りで蘇芳色を素地の上
からかける。 |
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国宝:菩薩半跏像(2)
瞳は黒珠を嵌めこみ、二重瞼で切れ
長な眼は異国的で唐代彫刻の影響。
檀像風彫刻の白眉。 |
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984年戒算上人が延暦寺の阿弥陀如
来像を神楽岡に移し開創。 本尊の阿
弥陀像はやさしい表情から 「うなずき
の弥陀」と呼ばれる。女人救済の言い
伝えがあり 女性のお参りが絶えない。 |
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阿弥陀如来立像(1)
像高108cmの一木造。上品下生の
来迎印を結ぶ。阿弥陀如来立像の
中では最も古い。
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阿弥陀如来立像(2)
比叡山の本尊になる願いには首を横
に振ったが、京で女人等を 救済する
願いには、三度頷く。
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10世紀後半に宇多法皇の孫である
寛朝僧正が創建。 当時は広沢池を
庭としていた。寛朝の死後衰退。
鎌倉後期に再興したが戦乱で焼失。
江戸後期に現在地に移り復興。 |
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十一面観音立像(1)
像高は120cm余り、 ヒノキの一木造
だが古式で内ぐりはない。表情は穏
やかで衣紋は浅く掘られる。 |
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十一面観音立像(2)
下肢の衣は深く刻まれ、翻波式が残
る。定朝の父 又は師とされる康尚の
の作と伝わる。 |
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赤不動明王
像高70cm、内ぐりのない一木造。眉
を吊り上げ、 目は両眼も見開いて上
歯で下唇を噛む。 |
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宝積寺は古くから交通・軍事上の要
地である天王山(270m) の南側山腹
にある。 724年聖武天皇の勅願によ
り行基が建立したと伝える。 |
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閻魔堂の閻魔王及び眷属像は鎌倉期
の作品。閻魔王、司録、司命、倶生神
闇黒童子の5躯の木像を並べて 地獄
の法廷を再現している。
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閻魔堂・閻魔大王
像高は 160.8cm、木造、彩色、玉眼
仕上げ。神仏分離で廃寺となった西
観音寺から移された。
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781年、慶俊僧都の開基と伝える。その
後、空也上人も 当寺に参籠したといわ
れる。平安末期には、九条兼実が当地
に閑居し、訪れた法然、親鸞が、それ
ぞれ刻んだといわれる三祖像が残る。 |
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阿弥陀如来坐像
像高87.6cm、桧材の寄木造。両手を
腹前で右手を上に重ね,人差し指を背
合わせにし,親指をその指先に添えて
輪を作る阿弥陀定印を結ぶ。 |
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十一面観音立像
像高168.8cm、 桧材の一木造。背面に
大きく背刳りを入れて、上下に2枚の背
板を当てる。 |
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千手観音立像
像高154.0cm、 針葉樹の一木造、内
刳りは全く無い。合掌手、宝鉢手の前
部も含めて、一木から彫り出す。 |
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聖観音立像
像高168.8cm、桧材の一木造。小顔・
均整のある体形 、浅くなだらかに流
れる 衣文線などに特徴がある。 |
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伝善哉王立像
像高102.0cm、桧材の一木造。天部像
で道教服を着る。 |
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伝龍王立像
像高117.5cm、 桧材の一木造。本来
は天部像であったと思われるが、空
也が助けた龍王の像としてまつられ
ている。 |
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伝九条兼実坐像
像高78.0cm、桧材の一木造。九条兼
実は鎌倉時代に源頼朝と結び摂政・
関白となった。晩年、月輪寺に隠棲し
月輪殿と呼ばれた。 |
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空也上人立像
像高119.1cm、桧材の寄木造、玉眼。
口から南無阿弥陀仏の名号を表した
小さな阿弥陀如来像6体が二筋に分
かれて出ている。 |
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九世紀半ば、円仁が開基。応仁・文明
の乱のあと、法然の弟子湛空が再興。
総門は伏見城の遺構と伝わる。
釈迦如来・阿弥陀如来の二如来を祀
ることから二尊院と称する。 |
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釈迦如来立像
像高78.8cm、截金、金泥仕上げ。右手
ので施無畏印、左手で与願印を結ぶ。
臨終を迎えた時に、現世から来世へと
送り出す発遣の釈迦という。 |
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阿弥陀如来立像
像高78.8cm、截金、金泥仕上げ。寿命
を全うした際に極楽浄土へ迎え入れる
来迎の弥陀といわれる。他に例を見な
い左手を上げる来迎印を示す。 |
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