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997年、橘行平が、帰国の途中夢告に
より海中から引き上げた 薬師如来を
祀ったのが、当寺の起こり。平安京で
は私設寺院の建立は禁止されたが貴
族の持仏堂や町堂は認められていた。 |
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薬師如来立像(1)
像高 162cm、一木造、漆箔仕上げ。
左手に薬壺を持ち、右手は上げて施
無畏印。収蔵庫に安置される。
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薬師如来立像(2)
背中に節が見られる堅くて彫りにくい
桜類の広葉樹の一木造。内刳も施さ
ず、重量がある。 |
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806年真言宗の宗祖である弘法大師
空海が唐へ留学した際に感得した三
宝荒神を現在地に祀ったのが始まり。 |
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三宝荒神坐像
像高 68cm、寄木造、彩色、玉眼仕上
げ。唐風衣冠束帯、四臂で五輪塔 法
具を持つ。日本最古の荒神像。
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992年に恵心僧都が 伏見に建立した
光明院が始まり。1594年に伏見城築
城に伴い大亀谷に移転。明治の廃仏
毀釈で廃寺となったが仏像が 引き取
られていた泉涌寺山内で復興。 |
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即成院 那須与一石塔
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那須与一が武運を祈願した寺院。
本堂裏には与一の墓と言われる
石塔がある。 |
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03-1 平安後期 |
阿弥陀二十五菩薩(1)
阿弥陀如来を中心に26体の仏像が 亡
者を西方浄土へ導く来迎図を立体的に
表現。26体のうち、11体が 平安後期の
作。 残り15体は江戸期の補作。 |
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03-2 平安後期 |
阿弥陀二十五菩薩(2)
阿弥陀如来の左には 亡者の魂を乗
せる蓮台を捧げ持つ観音菩薩、右に
は合掌する勢至菩薩が坐す。
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03-3 平安後期 |
阿弥陀二十五菩薩(3)
その他の23体の菩薩像の多くは 楽
器を演奏する姿で表される。西方浄
土への来迎を立体像で表現。 |
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戒光寺京都市東山区泉涌寺
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後掘河天皇のご勅願所として鎌倉
時代中期に創建された。応仁の乱
で伽藍を消失するが、幾度かの移
築後、17世紀中頃、皇室の菩提所
である泉涌寺の塔頭となる。 |
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04-1 鎌倉 |
釈迦如来
像高は約5.4m、台座から光背部ま
で約10m、木造では世界最大の像
といわれる。 桧材の寄木造、玉眼
嵌入の彩色。運慶・湛慶親子の作。 |
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04-2 鎌倉 |
光背・台座も同時代のもので、蒔
絵彩色も良く残りる。首の付着物
は、東宮時代の後水尾天皇が襲
われた時に釈迦如来が 身代りと
なり首から流した血の跡と伝わる。 |
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悲田院 京都市東山区泉涌寺
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1308年に無人如導が 一条安居院
を創建し、西悲田院を引き継ぐ。
室町期に悲田院は勅願寺となり皇
崩御の際には葬儀が行われた。1646年に現在地に移された。 |
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05-1 鎌倉 |
宝冠阿弥陀
像高約72cm、桧材の割矧造。近
年、頭部から墨書が発見され 快
慶作と断定。快慶の理知的 絵画
的で繊細な作風が見られる。 |
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05-2 鎌倉 |
髻を高く結い上げ肩を露わにしな
い通肩の姿は、鎌倉 浄光明寺の
阿弥陀如来のように本来は、髻を
覆うように宝冠を被っていたと思
われる。 |
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安楽寿院 京都市伏見区竹田
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平安末期、鳥羽上皇の鳥羽離宮内
に造営された仏堂が起源。火災や
地震で当初の建物は喪失。境内の
堂宇は、近世以降のもの。
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06-1 平安後期 |
阿弥陀如来
像高87.6cm、桧材の寄木造。
胸の中央に卍を刻むことから
卍阿弥陀と言われる。光背の
中心部分と台座も当初のもの。 |
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1051年に日野資業が日野家伝来の
小さな薬師像を胎内に収めた 薬師
如来像を造り、薬師堂を建てたのが
法界寺の始まり。 |
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鎌倉初期建築の阿弥陀堂には11世
紀末頃に作像された 定朝様の丈六
の阿弥陀如来像(国宝)が、安置され
ている。周りには絵画史上貴重な天
人の壁画(重文)が描かれる。 |
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本堂天人図
本堂長押上の漆喰の壁間には 天人
の壁画が描かれており、日本最古で
で絵画史上貴重なもの。 |
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国宝:阿弥陀如来坐像(1)
像高約280cm、檜の寄木造、漆箔。
上品上生の弥陀定印を結ぶ。光背
には、飛天が彫られる。 |
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国宝:阿弥陀如来坐像(2)
目は薄く開き、眉は弧を描き、頭部に
に小さい螺髪、鼻・口は小振り。平等
院鳳凰堂の本尊に最も近い。 |
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宇治川西岸の源重信の別荘を 藤原
道長が譲り受け、その子頼通が1052
年に天台宗寺院に改めた。創建時、
唯一の遺構となる鳳凰堂には1053年
に定朝作造の阿弥陀如来像を安置。 |
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国宝:天蓋
阿弥陀如来の頭上に飾られる天蓋で
中央の円形と それを大きく囲む方形
の二重天蓋になっている。 金箔を施
し花などを彩色で入れる部分もある。 |
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国宝:阿弥陀如来(1)
像高277.2cm 、寄木造、漆箔仕上
げ。 蓮華座に結跏装坐し、上品上
生の定印を結ぶ。定朝の作像。 |
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国宝:阿弥陀如来坐像(2)
定朝像は仏の本様と讃えられ定朝様
として仏像の規範となる。また大量注
文に応える寄木造を確立。 |
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国宝:雲中供養菩薩(1)
いずれの像も飛雲に乗っているため
阿弥陀如来と共に来迎する菩薩像を
表したもの。 |
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国宝:雲中供養菩薩(2)
約30cmの浮彫り菩薩像は 中堂の
長押上の壁を飾る。 楽器を奏で舞
う像は52体現存する。 |
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1661年 中国臨済宗の隠元を開山に
迎え徳川家綱の援助で建立。堂宇や
仏像等は明末期の様式で作られる。
本堂にあたる大雄宝殿は チーク材を
用いた歴史的建造物。 |
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天王殿・布袋
像高110.3cm木造、漆箔。弥勒菩薩
の化身といわれる。 南宋の高僧で、
定応大師と号する。 |
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天王殿・韋駄天
像高200cm、三十二将軍神の筆頭で
護法善神として 大雄宝殿の御本尊と
対面し 伽藍を守る。 |
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大雄宝殿・羅ゴ羅
人は心の中に必ず仏の心を宿すとの
教えから胸を両手で切り開いて、中に
ある釈迦の顔を見せる。 |
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大雄宝殿・韋駄天
像高120.6p、像容は元朝の宮廷武
官に擬えたもので、 明朝彫刻を伝え
る遺品。 |
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三室戸寺 宇治市莵道滋賀谷
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770年、光仁天皇の勅願により、奈良
大安寺の行表が伽藍を建て御室戸寺
を創建。その後、光仁・花山・白河の
三天皇の離宮となり、御の字を三に置
き換え改称したとされる。 |
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10-1 平安後期 |
阿弥陀三尊像・中尊
像高約90cm、定印。 高い肉髻、整っ
た螺髪、顔つきや体躯は おだやかに
まとまり、脚部は 左右によく張って安
定感がある。 |
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10-2 鎌倉 |
勢至菩薩・脇侍
像高101cm、跪坐の姿勢をとる来迎
像であるが、三千院の阿弥陀三尊の
ように上体は 前傾させていない。顔
つきは引き締まる。 |
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10-3 鎌倉 |
観音菩薩・脇侍
像高101cm、足の指など足裏の一部
が 衣から出ている足裏観音とも呼ば
れる。 |
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10-4 平安後期 |
釈迦如来立像
像高150cm、目は大きく、瞳に黒石を
入れ、髪は螺髪でなく縄のように巻き、
衣は細かく襞を刻んだ清凉寺式釈迦
如来像の最古の遺品。 |
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10-5 平安後期 |
毘沙門天立像
像高105cm、寄木造 、彩色仕上げ。
忿怒相の抑制に院政期の作風が残
るが、肉づきや身体の構えに自然な
動きを見せる。 |
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随心院 京都市山科区小野御霊町
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991年、仁海僧正が開基。増俊が塔頭
に随心院を建立。その後、後堀河天皇
より門跡の宣旨をうける。応仁の兵火
で炎上したが、1599年、増孝が再興し
現在に至る。 |
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11-1 鎌倉 |
如意輪観音坐像
像高97.4cm、 寄木造、彩色仕上げ。
官能的な表現がなされ輪王坐の姿勢
を とる。右膝を立て、両足の裏を十字
に合 わせて坐る。 |
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11-2 平安後期 |
阿弥陀如来坐像
像高86,1cm、漆箔仕上げ。 丸顔の肉
付き良い面相に、目尻は下がり気味で
穏やかな表情をする。結跏趺坐し阿弥
陀定印を結ぶ。定朝作と言われる。 |
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11-3 鎌倉 |
金剛薩タ坐像
像高101,8cm 、寄木造、 内刳り、彫
眼、漆箔仕上げ。像が単独で祀られる
例は少ない。像内に「巧匠法眼快慶」
の朱書銘があり快慶の晩年作になる。 |
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長講堂 京都市下京区富小路通五条
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後白河法皇が晩年に過ごした院御所
に1183年、建立した持仏堂が起源。
六条西洞院にあったが、度重なる火
災のため転々と寺地を変え、1578年
豊臣秀吉によって現在地に移された。 |
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12-1 平安後期 |
阿弥陀三尊・中尊
像高174.2cm、肉髻は堂々と高く、螺
髪は美しく並ぶ。目は半眼。上半身は
大きく、腕はゆったりと伸びて、腹前で
定印を結ぶ。 |
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12-2 平安後期 |
勢至菩薩・脇侍
像高96.1cm全体に若々しい雰囲気で、
姿勢よく、衣の流れも優美な仏像であ
る。外側の足を蓮台からおろし、踏み
下げている。 |
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12-3 江戸初期 |
後白河法皇坐像
像高58.5 cm、玉眼、彩色仕上げ。眼
光鋭い気品のある顔立ちで、 源頼朝
から「日本国第一の大天狗」と評され
た。 |
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690年代、秦氏によって建立。寺名は
蟹幡(かむはた)郷という古代の地名
に由来する。平安時代以降は今昔物
語に出てくる蟹の恩返し縁起で有名。 |
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国宝:釈迦如来坐像(1)
像高240.3cm、重さ2トンの金銅製で
創建時より不動とされたが、 台座に
江戸期の墓石が見られた。 |
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国宝:釈迦如来坐像(2)
作像時期や様式が近いのは、薬師寺
の薬師如来坐像や、興福寺国宝館の
仏頭などがある。 |
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735年聖武天皇の勅願により良弁僧
正が開創。海住山寺は、衆生を救済
する海のような観音の誓願への安住
を意味する。 五重塔は国宝に指定さ
れている。 |
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1214年に完成。 総高17.7mと室生寺
に次いで小さい。 全体的に細身だが
初重に設けられた吹放ちの裳階が安
定感を与える。 |
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本堂・十一面観音立像
像高167.7cm、榧材の一木造、彩色仕
上げ。彩色はほとんどが剥落し現在見
られるのは後世の補彩。 |
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本堂・十一面観音立像(2)
頭頂は木を削り出したままで、背面も
荒彫りを残し、観音が 木から現われ
た様を示すといわれる。 |
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奥の院・十一面観音立像
像高 45.5cm、一木造の彩色のない
檀像作り。緻密な彫刻が施されてい
る。 |
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奥の院・十一面観音立像(2)
頭上に仏面、警の中ほどに3面、地
髪の上に7面がある。貞慶の念持仏
であったといわれる。 |
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823年に嵯峨天皇の皇后の援助によ
り 善根寺に伽藍を造営し岩船寺とな
る。平安期に伽藍が、整備されたが、
鎌倉初期の兵火で焼失。江戸期に入
り幕府の庇護の元、再興する。 |
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元々、835年に創建。現在の塔は1442
年に再建された。初重の内部には来迎
柱を立て、須弥壇と来迎壁を設ける。
各層の屋根を支える垂木には 天邪鬼
である隅鬼が彫刻されている。 |
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鎌倉時代の四天王立像のほか、元は
三重塔に納められていた普賢菩薩騎
象像、十一面観音像など 多くの重要
文化財を含む仏像が安置されている。 |
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岩船寺・阿弥陀如来坐像
像高284cm、榧の一木造、漆箔、彩
色仕上げ。 紅色の彩色が残る衣が
古様を示す。上品上生印を結ぶ。 |
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阿弥陀如来坐像(2)
胎内の銘文から946年作造と判明
平安前期彫刻が和様表現に移行す
る過渡的な在銘基準作例。 |
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1047年義明上人により本堂が建立。
浄土式庭園の池を中心にして東に三
重塔の薬師仏、西に本堂の阿弥陀仏
を配し極楽世界を現す。 本堂には横
に長く九体の阿弥陀如来を安置。 |
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桧皮葺、高さ 16.08m、初層には塔
を支える心柱がなく、 初層の天井よ
り上層のみに心柱が設けられる。
広々とした 初層の中央部には本尊
の薬師如来を安置する。 |
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国宝:九体阿弥陀如来
平安時代には京都を中心に九体阿
弥陀堂は30 以上あったが、現存で
は浄瑠璃寺が唯一の遺構となる。
1107年に木像9体が祀られた。 |
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国宝:九体阿弥陀如仏・中尊(1)
像高は 224cm、重さ200kg、ヒノキ材
の寄木造、漆箔仕上げ。来迎印を結
び台座に坐る。 |
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国宝:九体阿弥陀如仏・中尊(2)
脇仏8体の像高は139cmから145cm
で中尊より低い。印相は8体とも阿弥
陀の定印を結ぶ。 |
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吉祥天立像(1)
像高90.0cm。檜の一木材、割矧ぎ造
彩色、截金仕上げ。体部は白肉色衣
は繧繝彩色を含む極彩色。 |
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国宝:増長天 (1)
像高170.0cm、檜材の寄木造、漆箔
彩色、截金仕上げ。当初の彩色と截
金文様が残っている。
東京博物館:広目天 |
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吉祥天立像(2)
右腕は下げて与願印とし、左腕は肘
を曲げ、掌を肩の辺に上げて宝珠を
捧持する。 |
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国宝:増長天(2)
身体は赤色に塗られ、右手には三鈷
杵を掲げて、 左手では戟を胸前で支
える。長い袖が横になびく。
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国宝:持国天(1)
像高は170cm、檜材の 寄木造、漆箔
彩色、截金仕上げ。当初の彩色 截金
文様が残っている。
京都博物館:多聞天 |
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不動三尊
像高不動明王99cm矜羯羅童子50cm
制痩゙童子52cm、檜材の寄木造、玉
眼、截金 、彩色仕上げ。三尊は安定
感のある造形で、岩座上に立つ。 |
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国宝:持国天(2)
肉身部は赤色に塗り、頭に花飾り
の宝冠を被り、腹部には獅噛が付
く。 右手で宝剣を横に構える。 |
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不動明王
静的で動きが少ない不動明王は左目
を細め、両牙で唇を噛む憤怒相。相好
は鎌倉前期に見る凄みは後退。体躯
の力みも散漫の感がある、 |
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二童子
慈悲の矜羯羅童子は白肉色、智慧の
制痩゙童子は紅蓮色。両像の表情、
立ち振る舞いに妙味がある。盛上彩
色をもって丁寧に仕上げている。 |
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聖徳太子によって創建されたと伝承。
山岳信仰が栄え、吉野山に対して北吉
野山と号した。一時は二十六坊の堂宇
が存在したが、兵火で全山焼失し、現
在の本堂は1406年に再建 された。 |
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愛染明王坐像
像高64.5cm、桧材の寄木造、彩色仕
上げ。弓矢を天を向ける天弓愛染。
他の作例は金剛峰寺と放光寺に現存。 |
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不動明王立像
像高162.1cm 、彩色、寄木造。頭髪を
尖った巻髪とし 両眼を見開き、上の
歯で下唇を噛む。 波切白不動尊と呼
ばれ、園城寺の黄不動と特徴が一致。 |
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阿弥陀如来
像高137cm、寄木造、 漆箔仕上げ。
来迎印を結ぶ。 粒の細かい螺髪、丸
い顔、薄い体形、浅く、ゆるやかな衣
文など典型的な定朝様。 |
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毘沙門天立像
像高124.2cm、桧材の寄木造、 彩色
仕上げ。岩座に立ち、 兜 鎧を身に着
け、白い彩色の後が残る。 右手に三
叉戟、左手に宝塔を載せる。 |
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日光菩薩
像高162.4cm、桧材の一木造、彩色仕
上げ。右腕を伸ばし左腕を屈している。
地方仏師の手による。日光・月光菩薩
は作風の違いから、一具ではない 。 |
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月光菩薩立像
像高171.5cm、桧材の寄木造、彩色仕
上げ。中央の仏師の手になる。 通例
では日光菩薩が左手、月光菩薩が右
手を上げるが、2体とも左手を上げる。 |
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蔵王権現
像高270cm、右足を高く上げ、右手で
三鈷杵を振り上げるなど全身で躍動
感を表現。体色に施された群青の彩
色がよく残る。 |
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松尾神社は 701年に秦都理が 霊夢
に宝珠を得て 神体とし社殿を創建し
たのが始まり。本殿には春日造の社
殿が2社が 並んでおり向かって左が
月読命を祀る松尾神社。 |
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右は明治に合祀した牛頭天王を祀る
御霊神社。松尾神社は下の宮と呼ば
れ、御霊神社を上の宮と呼ばれる。 |
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牛頭天王像
像高約60cm、甲冑をまとい、右手に
矛を持つ。頭上に牛頭を被り、厳しい
顔つきで前方をにらむ。 |
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991年、東大寺の別当であった平崇上
人によって開基。 摂関家の尊崇を受
け、かなり栄えたが、戦国時代には衰
微した。江戸時代になり、曹洞宗寺院
として再興されて現在に至る。 |
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十一面観音立像
像高286cm、桜材の一木造、背中に内
刳り。量感のある体躯や翻波式、渦巻
き衣文に古式が見えるが、表情は和風
化し、彫りも穏やか。 |
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日光・月光菩薩立像
像高・日光203cm 、月光208cm、サク
ラ材の一木造、彩色仕上げ。両手足は
桧材。本来は薬師如来の脇侍であるこ
とから、他寺の遺仏ともいわれる。 |
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四天王立像
像高157.6〜163.9cm、持国天、増長
天は桜材。広目天、多聞天は桧材に
サクラ 材の両手が寄せられている。 |
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文殊菩薩騎獅像
像高57.3cm、桜材と桧材の 一木造、
彩色仕上げ。左足は蓮華台座の上に
載せ、右足は踏み 下げる。文殊菩薩
の半跏椅像は 珍しい。 |
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地蔵菩薩半跏像
像高87.9cm、頭が大きく、磐座に坐
す。右足を曲げ左足を踏み下げる地
蔵半跏像は延命地蔵という。翻羽式
の衣文が見える。 |
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704年に創建されたと言う。往時は 木
津川のそばに位置しており 七堂観音
が備わった大寺であったが、度重なる
木津川の氾濫により 1732年に現在の
小高い地に移転した 。 |
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十一面千手千眼観音
像高約180cm、桧材の一木造、素木
仕上げ。実際に千の手を持つ観音菩
薩三大名作の一つである。他の二仏
は、葛井寺、唐招提寺に所在する。 |
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聖徳太子立像
像高112.3cm、寄木造。父親 用明天
皇の病気平癒のために、香炉を捧げ
祈願する孝養像。1875年廃仏毀釈に
より廃寺になった蓮華寺より移された。 |
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7世紀後半に 天武天皇の勅願により
義淵僧正が創建。744年良弁僧正が
伽藍を増築し七堂伽藍を擁する大寺
院となった。 度々の火災で現在は本
堂を残すのみ。 |
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国宝:十一面観音立像(1)
良弁僧正開基時に造仏される。聖林
寺の十一面観音像としばしば比較さ
れ名作と言われる。 |
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国宝:十一面観音立像(2)
像高 172cm、重量66Kg、 木心乾漆
造。脱活乾漆造と異なり内部に木材
が残るため重量がある。 |
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元々993年に光福寺として創建。上杉
氏の菩提寺として栄えていた。足利尊
氏が幕府を開府した際 安国寺を全国
に設置したが 尊氏出生の地である当
寺は安国寺と改称し筆頭寺院となる。 |
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宝冠釈迦如来
像高157.6cm、桧材の寄木造、玉眼、
漆箔仕上げ。宝髻を結い上げて宝冠
を被り、袈裟を着ける。 |
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地蔵菩薩半跏像
像高約150cm、桧材の寄木造、彫眼、
彩色仕上げ。左手に宝珠、右手に錫
杖を持つ。足利尊氏の母が男子出生
を祈願したと伝えられる。 |
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892年に高岳親王によって開山。その
後、荒廃した寺は、白河天皇により復
興、三重塔も建立された。江戸時代に
細川幽斎が、作庭した鶴亀の庭ととも
に植樹した楓が有名。 |
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執金剛神立像
像高約86cm、寄木造、彩色仕上げ。
快慶の作品であると伝わり、深沙大
将像と一対のものと考えられる。 |
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深沙大将立像
像高84p、寄木造、彩色仕上げ。動き
のある構図でありながら、筋骨たくまし
い体やしっかりした腰の力強さなど 迫
力に満ちた 快慶初期の作品。 |
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増長天・多聞天立像
像高約160cm、 力強さや動きはなく
上品な姿で貴族好みの像。 |
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金剛力士像 2躯
像高約180cm、寄木造。甲冑を着て金
剛杵を持つ武装した姿で、如来を守護
する。 動きのある力強い姿で、迫力が
ある。 |
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阿弥陀如来坐像
像高約170 cm、寄木造、漆箔仕上
げ。定朝様の平安仏で腹前で阿弥
陀定印を結ぶ。 |
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708年に唐の僧、威光上人の草庵に由
来。平安中期に観音霊場となり、多くの
信仰を集めた。毎年、釈迦の生誕日に
黄金色の仮面と光背を模した冠を着用
して踊る仏舞が行われる。 |
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木造阿弥陀如来坐像
像高89.3p、玉眼、桧材の寄木造。頭
体部は左右2材で合わせる。後頭部の
内側にアン阿弥陀仏の墨書があり、快
慶の前期作品と判明。 |
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釈迦如来坐像
像高141・5p、寄木造、漆箔仕上げ。
上半身は胸が厚い定朝様だが、面長
で、両目の見開きが大きく眼尻が吊り
上がる顔相は定朝様と異なる。 |
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江戸初期に創建された、赤松家の菩提
寺。収蔵庫には宝釈寺の廃絶により移
管された釈迦、薬師、阿弥陀の三如来
像を安置している。また、石庭にある鎌
倉時代の九重石塔も移管されたもの。 |
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平安期に宝光寿院として創建。 鎌倉
時代に鎌倉の極楽寺の末寺になる。
その後、この地方出身の後宇多上皇
の千手姫が、愛染明王と金剛心院の
名前を賜わり、金剛心院に改称。 |
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薬師如来坐像 像高120・5p、寄木
造、漆箔仕上げ。上半身に比べて両
脚の幅が広くなり、頭部の螺髪は や
や大きめで、目鼻は顔の中央に集ま
っている。 |
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如来立像
像高82.6cm、桧材 の一木造。豊満な
面相や肩幅の広い堂々たる像容、隆
起させた両腿の間に表されたY字形の
衣文や内 刳の形式など 古式を残す。 |
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阿弥陀如来坐像
像高139・5p、寄木造、漆箔仕上げ。
正面は立派に見えるが、横面からは胸・腹部は厚くない。平安貴族の繊細な美意識を表現。 |
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愛染明王坐像
切金、玉眼、彩色仕上げ。 衣文には
精緻な切金や盛上文様を施すほか、
繧繝彩色が施された蓮弁には火焔に
包まれた三弁宝珠をあしらう。 |
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