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萬徳寺(小浜八ヶ寺) 小浜市金屋
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鎌倉期の極楽寺が前身。 江戸初期
に京極高次により再建され現在の寺
名となる。次の藩主酒井忠勝が、現
在地に移転し 名勝蓬莱式枯山水庭
園を作る。 |
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01 平安後期 |
阿弥陀如来
像高141.5cm、桧材寄木造。 阿弥陀
堂内須弥壇に安置。当山の前身であ
る極楽寺の本尊。 |
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国分寺(小浜八ヶ寺) 小浜市国分
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741年聖武天皇の詔により日本各地
に建立された国分寺の一つ。
若狭国 国分僧寺の後継寺院にあた
る。現在の若狭釈迦堂は、1705年に
再建された。 |
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02-1 鎌倉 |
薬師如来
像高79.7cm、寄木造。 像の墨書
によれば1693年に尼寺庵の本尊
として祀られていた。 |
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明通寺(小浜八ヶ寺) 小浜市門前
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806年北陸地方を巡行中の坂上田村
麻呂が創建した。 現存する国宝の本
堂、三重塔は鎌倉時代中期のもので
中興の祖頼禅によって復興された。 |
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03-1 平安後期 |
薬師如来
像高144.5cm、寄木造。力強い像容
で藤原期の温雅な作風と異なる。平
安末の過渡期の作。 |
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03-2 平安後期 |
降三世明王
像高252.4cm、一木造。本来の脇侍
ではないとみられる。 四面八臂で大
自在天と烏摩を踏む。 |
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03-3 平安後期 |
深沙大将立像
像高256.6cm、一木造。頭部に髑
髏を戴き、腹に幼女の首を着けた
異形の護法善神である。 |
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03-4 平安後期 |
不動明王
像高161.8cm、檜の一木造。本尊の
不動明王は 焼失したため、 羽賀寺
より譲り受けた。 |
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羽賀寺(小浜八ヶ寺) 小浜市羽賀
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716年、元正天皇の勅願で行基が 開
山。最盛期には子院18を数えたが天
災などで消失した。 現存する往時の
遺構は、室町中期の本堂のみ。十一
面観音、千手観音などを安置。 |
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04-1 平安前期 |
十一面観音(1)
像高146.4cm、檜の一木造。5mmを
越える下地厚さにより当初の彩色が
ほぼ完全に残る。 |
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04-2 平安前期 |
十一面観音(2)
瞑想的な眉目、膝に届く長い腕、翻
波式衣文などに 平安前期の古様を
留める。知名度が高い。 |
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04-3 平安後期 |
千手観音立像(1)
像高135.4cm、檜の寄木造。内部は入念に内刳を施す。色彩を施さぬ素地仕上げ。 |
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04-4 平安後期 |
千手観音立像(2)
浅い彫り口や温雅な目鼻立ちなどに
典型的な 藤原期の仏像の様式が見
られる。わずかに微笑を浮かべる。 |
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04-5 平安後期 |
毘沙門天(1)
像高159cm、檜の一木造。頭部と
体部に内刳を施し、右手と足先を
割剥ぐ。 |
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04-6 平安後期 |
毘沙門天(2)
憤怒相ながら、定朝様の極めて穏や
やかな表情。胎内に治承2年(1178)
の墨書銘。 |
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圓照寺(小浜八ヶ寺) 小浜市尾崎
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奈良時代に真言宗遠松寺として創
建されたと伝わる古刹。 室町中期
に現在の地へ移築し、1612年に臨
済宗の寺として・再建され、圓照寺
となる。 |
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05-1 平安後期 |
大日如来(1)
像高251.5cm、檜材の 寄木造。江戸末期に金箔の張替。重文の大日如来では4番の大きさ。 |
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05-2 平安後期 |
大日如来(2)
ほほ膨れた丸顔、伏目の両眼、細
い両腕、彫りの浅い 衣文の線状な
どに平安末の特色。 |
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05-3 平安後期 |
不動明王(1)
像高158.7cm、桧材の寄木造。面相
は斜め左下を向き、左足を踏み出し
て、動きのある姿勢。 |
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05-4 平安後期 |
不動明王(2)
全身の肉どりは太づくりで、しかも
胴部を引き締め、裳裾を巧みにま
とめる。力強い造型。 |
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妙楽寺(小浜八ヶ寺) 小浜市野代
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797年に空海が 諸国を廻っていたと
きに行基が彫った本尊を拝して堂舎
を建立したと言われる。 現在の本堂
は 鎌倉初期の建立で 若狭における
最古の建造物。 |
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06-1 平安中期 |
千手観音(1)
像高176.3cm 、桧の一木造。42本の大手の間に多数の小手を表した真数千手像である。 |
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06-2 平安中期 |
千手観音(2)
正面の本面と両側の大ぶりな脇面
で3面をもち、頭上の21面と合せて
24面を持つ千手観音像。 |
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若狭神宮寺(小浜八ヶ寺) 小浜市神宮寺 |
714年に元正天皇の勅願により若狭
国一の宮として開創。本堂は 室町時
代に朝倉義景の寄進による。七堂伽
藍二十五坊を有していたが秀吉の寺
領没収や廃仏毀釈により衰退した。 |
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07-1 南北朝時代 |
木造男神坐像
像高49.1cm、寄木造。漆下地の上
に彩色を施しており、彩色は後補。
古来服制の衣冠束帯。 |
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07-2 南北朝時代 |
女神坐像
像高50.9cm、寄木造。漆下地の
上に彩色を施しているが、 彩色
は後補。小袿(こうちき) 姿。 |
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多田寺(小浜八ヶ寺) 小浜市多田
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749年に孝謙天皇の勅願により勝行
上人が創建。 最盛期には子院12を
数えた。本堂は1807年に再建。本尊
薬師如来は、多田薬師として 信仰を
集める。 |
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08-1 平安前期 |
薬師三尊
須弥壇上の厨子に、本尊薬師如来
脇に日光月光の立ち位置で二躰の
菩薩像が安置されている。 |
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08-2 平安前期 |
薬師如来(1)
像高は192.5cm、カヤの一木造。
三大薬師の一つとして主に眼病
祈願の参拝客が多い。 |
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08-3 平安前期 |
薬師如来(2)
下半身部分のY字状の衣文の処
理は唐招提寺、神護寺の薬師如
来と共通する様式。 |
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08-4 平安前期 |
十一面観音・伝日光菩薩(1)
像高154cm、カヤの一木造。本体と
共木から彫出す胸飾、 両足部の衣
文構成に天平の作風。若狭のモナリザとも呼ばれる。 |
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08-5 平安前期 |
十一面観音・伝日光菩薩(2)
頭上に菩薩面を置く十一面観音で
あるが、当寺では薬師如来の脇侍
として日光菩薩と称する。 |
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08-6 平安前期 |
菩薩立像・伝月光菩薩(1)
像高 144.2cm、カヤの一木造。薬師
如来の脇侍の月光菩薩としているが
本来名は不明。 |
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08-7 平安前期 |
菩薩立像・伝月光菩薩(2)
垂髪や胸飾り、腰裳の上 に刻んだ
瓔珞、両脚の衣皺は平安初期の貞
観期に近い様式。 |
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高成寺 小浜市青井
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1339年に足利尊氏の命を受け諸国
に建立した若狭国 安国寺。1344年
に炎上したため、若狭守護であった
大高重成が高成寺として再興した。 |
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09-1 平安前期 |
千手観音立像(1)
檜の一木造で 厚みのある太造りの
体形や衣に刻まれる 翻波式衣文な
どに、平安前期の特色。 |
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09-2 平安前期 |
千手観音立像(2)
若狭姫神社の伝来と伝えられ神仏
習合に関わる像である可能性があ
る。 |
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加茂神社為星寺 小浜市加茂
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千手観音は、元々加茂神社背後の
山上にあった 為星寺の本尊であっ
た。為星寺の廃寺後は加茂神社の
境内にある収蔵庫に祀られる。 |
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10 平安中期 |
千手観音
像高113.5cm、檜材の一木造。 内
刳はない。 薄く刻まれた衣文に翻
波式と渦巻が 見える。 |
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谷田寺 小浜市谷田部
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721年白山信仰の開祖・泰澄大師に
よって開創。鎌倉時代には若狭国分
寺に次いで 第2の御願所として栄え
る。 現在は、往時の隆盛を想像させ
せる広い境内に多くの仏像群が残る。 |
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11-1 鎌倉 |
千手観音
像高 179.4p、榧材の寄木造、素地
仕上げの檀像様彫刻。頭・体幹部を
通して前後で矧ぐ。 |
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11-2 鎌倉 |
不動明王
像高130.7p、桧材の寄木造。巻髪
天地眼、二牙上下交互の様式。 |
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11-3 鎌倉 |
毘沙門天
像高は 135.5cm、ヒノキ材寄木造
玉眼嵌入。 全身の彩色は当初の
ものが良く残る。 |
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竜前薬師堂(蓮華寺内) 小浜市竜前
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元は若狭彦神社の本地仏。 神仏分
離により蓮華寺の薬師堂の本尊とし
て祀られていた。1968年蓮華寺の北
側に建てた収蔵庫に安置される。現
在は区長により管理されている。 |
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12-1 鎌倉 |
銅造薬師如来立像(1)
像高50.9cm、本体部は一鋳で両手
首先は 別鋳を差し ほぞつぎとする
鎌倉初期を代表する基準作。 |
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12-2 鎌倉 |
銅造薬師如来立像(2)
背面の銘「若狭国一宮本地宝治二
年(1248年)戊申六月日」 から鎌倉
初期を代表する基準作。 |
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中山寺 高浜町中山
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736年に聖武天皇の勅願よって創建
される。鎌倉時代に天台僧覚如が寺
名を一乗寺と改め、室町時代に中山
寺に改称。 南北朝時代建立の本堂
は本堂建築の遺構として大変貴重。 |
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13-1 鎌倉 |
馬頭観音坐像
像高79.3cm、檜材寄木造。秘仏で
開帳は33年に1度行われる。煩悩
や悪心を退治する馬頭観音。 |
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13-2 鎌倉 |
金剛力士立像 阿形
像高282cm、檜材の寄木造。内刳り
を施し、玉眼を嵌入する。 運慶の子
湛慶の作とされる。 |
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13-3 鎌倉 |
金剛力士立像 吽形
像高267cm、檜材の寄木造。 内刳
りを施し、玉眼を嵌入する。大英博
物館で一般公開された。 |
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馬居寺 高浜町馬居寺
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聖徳太子が馬のいななきと光明が
輝いた若狭の山に党塔を建立。馬
頭観音を安置。馬頭観音が居る寺
から馬居寺(まごじ)となった。 |
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14 平安後期 |
馬頭観音
像高100.3cm、檜の一木割矧造。
内刳りを施す。 24年ごとの午年
に本開帳される秘仏。 |
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長楽寺 おおい町大島
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6世紀後半に創建された古寺。 室町
中期、僧賢海により 六坊を擁した大
寺となったが 戦国の兵火によりより
衰退。 江戸期に小浜藩により再興。
今は 阿弥陀堂と収蔵庫のみが残る。 |
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15-1 平安後期 |
阿弥陀如来坐像
像高215.7p、桧材寄木造、漆箔
彫眼。平等院鳳凰堂の本尊 阿弥
如来に最も近いと言われる。 |
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15-2 平安後期 |
多聞天立像
像高167.3cm、桧材の寄木造、彩色
仕上げ。頭部二材矧ぎ、首ほぞを差
し体部前面一材で背面二材で矧ぐ。 |
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清雲寺 おおい町大島
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平安後期、自耕善公が 創建。 後に
衰退したが 室町後期に春江禅師が
再興。現在は 無住となっており仏像
は 近隣の世話役が管理する収蔵庫
に安置されている。 |
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16-1 鎌倉 |
毘沙門天立像
像高100.9p、檜材の寄木造、彩色
玉眼。 吉祥天と善膩師童子の三尊
一具は全国に3例。京都の鞍馬寺、
高知の雪渓寺。 |
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16-2 鎌倉 |
吉祥天立像
像高58cm、檜材の寄木造、前後
割矧ぎ、内刳り、割首、玉眼。 |
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16-3 鎌倉 |
善膩師童子立像
像高47cm、檜材の寄木造、前後割
矧ぎ、内刳り、割首、玉眼仕上げ。 |
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18-1 平安中期 |
聖観音立像
像高158cm、桧材の一木造、彫眼
彩色仕上げ。内刳りはない。 大波
と鎬の翻波衣文が覗く。 |
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常禅寺 福井県おおい町大島
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852年、智證大師円珍が一宇を建て
不動明王を刻んで 安置したと伝えら
れる。現在、無住のお寺で地元の人
達によって維持管理されている。 |
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豊財院 羽咋市白瀬町
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總持寺を開山した瑩山禅師が能登で
最初に開いた庵で、釣鐘が下がる珍
しい山門がある。 もとは能登半島志
賀町にあった観音堂安置の平安時代
の観音像3躰を所蔵する。 |
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17-1 平安後期 |
不動明王坐像
像高 98cm、所々に彩色が残る。波
切不動と呼ばれ 海上安全の守護と
して厚く信仰されている。 |
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19-1 平安中期 |
馬頭観音(1)
像高173.7cm、桧材の一木造、彫眼、
白毫水晶。左右の耳の後ろに忿怒面
を彫り、髪はまばら彫りである。最古
の馬頭観音。 |
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安楽寺 若狭町無悪
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828年、小野篁は 遣唐使の役目を
拒否したことで隠岐へ流された。12
年後許されて 京への帰路、若狭に
漂着。堂を築いて観音像を祀ったと
いう。 |
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19-2 平安中期 |
馬頭観音(2) 3面6臂、忿怒の顔で、
頭上に馬の顔が載る。怒りの表情で
顔には凹凸ができ、口は少し開ける。
仏像は表面に傷みがあり、後補部分
が多い。 |
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瑞龍寺仏殿 高岡市関本町
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1614年に 前田利長の菩提を弔うた
め三代藩主前田利常が建立。曹洞
宗寺院で中国渡来の禅宗の形式を
如実に伝える。江戸初期の建築とし
て山門、仏殿、法堂が国宝に指定。 |
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20-1 室町 |
瑞龍寺・烏枢沙摩明王(1)
室町以前の制作とされる 烏枢沙摩
明王は禅宗の寺では東司の守護神
として祀られている。 |
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20-2 室町 |
瑞龍寺・烏枢沙摩明王
像高120cm。顔は斜め下を向き
不浄な振る舞いのあった猪頭の
亥子神を縛り上げ戒める。 |
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牛伏寺 長野県松本市内田
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755年、善光寺へ経典を積んだ牛が
倒れたことで寺名がある。 平安以降
豪族の信仰を得て、広大な寺域に堂
宇が建てられた。1612年の大火で全
焼したが 有力者の保護を受け再建。 |
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21-1 平安後期 |
十一面観音三尊(中尊)
像高152cm、桧材の一木割矧造、彩
色仕上げ。円みのあるなで肩の曲線
衣文の作風などに 平安末の特徴が
見られる。 |
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21-2 平安後期 |
不動明王・毘沙門天(脇侍)
像高・不動明王98p、毘沙門天76p
檜材の寄木造、彩色仕上げ。動きの
少ない素朴な像である。 |
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21-3 平安後期 |
釈迦三尊(中尊)
像高138p、桧材の寄木造、全身漆
箔仕上げ。頬の円味、なだらかな両
肩、流れるような薄い衣文線など 藤
原時代の特徴を示す。 |
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21-4 平安後期 |
文殊菩薩・普賢菩薩(脇侍)
桧材の寄木造、彩色仕上げ。 獅子
の動的な形に文殊の両手が 合わさ
る。普賢乗る象は平板な鼻と牙など
から想像上の動物として造形。 |
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21-5 平安後期 |
薬師如来坐像
像高148p、檜材の寄木造、漆箔仕
上げ。右手は施無畏の印相、左掌に
薬壷をのせる。本地垂迹説では薬師
如来は牛頭天王の本地仏となる。 |
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21-6 平安後期 |
大威徳明王像
檜材の寄木造。牛に乗る大威徳明王
像単独の作品は珍しいが、牛に纏わ
る牛伏寺が特別に作造。信州唯一の
重文明王像。 |
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善光寺 長野市元善町
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644年に創建した 本田善光の名から
善光寺と命名。十数回火災に見舞わ
れたが、源頼朝、徳川家康など 権力
者の厚い保護を得て、復興を 成し遂
げた。本堂は江戸中期の再建。 |
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22-1 鎌倉 |
金銅阿弥陀三尊(前立本尊)
像高・中尊42.4cm、観音30.5cm、勢
至 30.2cm。中尊は 衲衣をつけ、左
手で刀印を、右手は五指立る。菩薩
は宝冠を戴き、胸前で両手を重ねる。 |
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22-2 鎌倉 |
銅造釈迦涅槃像
全長166cm。 頭を北に、西を向いて
横たわり、右腕のひじを曲げて右手
で頭を支える。面貌や衣文に木彫り
の痕があり、木彫の原型から鋳造。 |
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清水寺(保科) 長野市若穂保科
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坂上田村麻呂が大同年間(806~810)
に建立したと 伝承。 往時は 堂塔伽
藍を備えた盛大な寺であった。 1916
年の火災で全焼の後、堂宇が再建さ
れ石位寺から多くの仏像が移された。 |
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23-1 平安中期 |
薬師如来坐像
像高84.5p、一木造。内刳を施 し背
板をあてる。膝前の翻波式や裳先の
彫り口が粗い。頭部は綿帽子のよう
に肉髻部がはっきりしない。 |
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23-3 平安後期 |
聖観音立像
像高177 cm、桧材の寄木造り、彩色
はほ とんどはげ落ちて素地が出てい
る。左手は曲げて蓮華を持ち、 右手
を下 げて与願印を取る。 |
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23-4 平安後期 |
千手観音
像高139cm、頭・体とも 一木造、 背
部 にわずかな内刳 を施す。膝は厚
めで翻波式 衣文が見られるが、彫り
は浅い。顔がやや長 く、体部は筒形。 |
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23-5 平安後期 |
地蔵菩薩像(脇侍)
像高159cm、寄木造、彩色仕上げ。
丸造りの像で、丸みのある顔と両肩
の曲線、左腕にかかる衲衣や 正面
の衣文は流れるように美しい。 |
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23-6平安後期 |
阿弥陀如来立像
像高161cm、桧材の寄木造、漆箔仕
上げ。こまかに均一に刻まれた螺髪
一文字の髪際、小粒な目鼻立ち、な
で肩で長身の体部は 奥行きが浅い。 |
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23-7 平安後期 |
広目天・多聞天
像高・広目天152cm 多聞天150cm、
桧材の寄木割矧造、彫眼、漆箔、彩
色仕上げ。忿怒の表情は、抑えられ
体部は、ほぼ直立した姿態に近い。 |
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清水寺(松代) 長野市松代町西条
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803年に坂上田村麻呂の東北遠征戦
勝祈願のために開山。創建時の伽藍
は火災に遭い焼失したが、武田信玄
の供料で再建。江戸中期の大火災で
七堂伽藍を焼失。現在地に移転した。 |
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24-1 平安中期 |
千手観音立像
像高179cm、桂材の一木造。内刳り
なし。 一木造りの手法や、翻波式衣
文から貞観様式が、みれるが量感を
欠き、武骨さがなく平安中頃に下る。 |
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24-2 平安中期 |
観音菩薩立像
像高159cm、桂材の一木造。異国風
顔立ちで、高い天冠台、調和を 保ち
ながら、動勢を生み出す。胸は大きく
腹はぐっと突き出し腰は絞る。 |
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24-3 平安中期 |
地蔵菩薩立像
像高157cm、観音菩薩と 同じ樹種、
構造であり、豊かな胸、いかり肩で
作風も共通、観音像と一具であっ
たと考えられる。衣文線に翻波式。 |
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佐渡国分寺 佐渡市 国分寺
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佐渡の国分寺は聖武天皇の勅願によ
り743〜775年間に建立。 現国分寺は
1679年に賢教によって真言宗の寺と
して再建 。同寺の西隣に旧国分寺の
伽藍跡が現存する。 |
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長雲寺 千曲市稲荷山荒町
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1184年、篠山中腹に開山と伝承。そ
の後、山火事で焼失。1589年に現在
地の荒町に再建。江戸中期に伽藍を
再興したが、江戸末の善光寺地震で
伽藍を焼失。本堂は明治の再建。 |
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26-1 平安前期 |
薬師如来坐像
像高136cm、頭と体は一木造、膝・両
手首・衣文の折返しなどは別造。広く
張りのある肩や胸、膝に重量感があ
る。衣文に折り返しの渦文が見える。 |
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25-1 江戸時代 |
愛染明王坐像
像高 91.5cm、桧材の寄木造、彩色
仕上げ。忿怒相で開口して歯牙を表
わす。新しい仏像であるが、 鎌倉の
作風を持つ。京都の久七の作品。 |
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