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法道仙人立像
像高148.6cm 、桧材の寄木造。 法
道仙人の姿を表現したもっとも古い
画像。手に宝棒と杖を持ち、粗末な
法衣をまとう。 |
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966年、性空上人によって創建され
た。上人の徳をしたって多く天皇や
法皇、貴族が 山を訪れた。その後
も多くの僧侶の修行の道場して 栄
え西の比叡山とも呼ばれる。 |
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釈迦如来三尊(中尊)
像高138cm、桧材の一木造 、肉身
は漆箔、衣は黒漆仕上げ。 体躯が
ひきしまり、両膝の間はせまいが高
く、衣文も力強く現されている。 |
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文殊・普賢菩薩 (脇侍)
像高156cm、桧材の一木造。体躯が
豊満で量感に富む。首、腰をわずか
に曲げる。 衣は流麗で、変化をつけ
る。下肢に翻波式衣文が見られる。 |
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四天王立像
像高130cm、桧材の一木造。性空上
人の弟子であった感阿上人による作
造。四像は大講堂中央の須弥壇の
釈迦三尊を囲み配置されている。 |
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四天王立像(2)
四天王像は それぞれ個性的である。
金色の光背を背に、足元には渦巻く
雲のような形をした土台など、いくつ
か共通点がある。 |
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阿弥陀如来坐像
像高250cm、桧材の寄木造。螺髪は
大粒の半球状をなし、白毫は水晶を
嵌装する。表情は穏やか、上半身は
高く、肘は張らず、膝は低い。 |
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城崎温泉を開いた道智上人にが創
建。738年、聖武天皇から末代山温
泉寺の勅号を賜わる。 鎌倉期に隆
盛を極めたが 一時衰退。正徳年間
に伽藍の再興がなされた。 |
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十一面観音立像
像高約210cm、 桧の一木彫の鉈彫
り。 顔のノミ跡は丁寧に仕上げ、他
の部分は荒削りとなる。大きな頭部
膝まで伸びる太い腕が見える。 |
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千手観音立像
像高145cm、桧材の一木造。ほぼ左
右対称形の造型で、広がる 834本の
腕も極自然に配置される。 衣がまと
わりつき両足が浮きあがる。 |
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831年に創建された真言宗御室派の
寺院。織田信長の焼打ち、太閤検地
での寺領の没収で堂塔も寺領も失い
山を降りる。江戸中期に甲山への復
帰が叶い、諸堂が再興された。 |
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如意輪観音坐像
像高98.7cm、サクラ材の一木造、内
刳りを施す。 右脚を斜めにして左脚
の上に乗せる珍しい作例。
日本大三如意輪(観心寺、室生寺) |
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聖観音立像
像高206cm、桧材の一木造、彩色仕
上げ。左側面に焼け跡がある。 |
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不動明王坐像
像高88.6cm、桧材の寄木割矧ぎ造。
上半身や顔は充実した力強さがあ
る。平安前期に円珍が 唐より持ち
帰った図像に基づく。 |
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弘法大師坐像
像高81.2cm、桧材の寄木造、玉眼
嵌入。 椅子(後補)の上に座る。大
師58歳の姿とされる。 |
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745年、行基による開山。 江戸中期
に行われた客殿再建に際し、円山応
挙に襖絵の依頼。 現在、障壁画165
面が遺されている。客殿は西方浄土
を取入れ、西を正面に建設された。 |
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十一面観音立像
像高138cm、 桧材の寄木造 、彩色
仕上げ。左手には、水瓶を持ち、右
手は与願印を結ぶ。
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聖観音立像
像高103cm、一木造。 左手に蓮華を
持ち、左手は、ヒジを折り手のひらを
前方に向け施無畏印を結ぶ。右手足
は前に出す。頭部に宝冠を被る。 |
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8世紀頃の創建と伝承。 中世の仏像
を80余り所蔵し丹波の正倉院と呼ば
れる。仏像は明智光秀の丹波攻め際
し避難した客仏説と 未完成品が数体
あることから工房説の2説がある。 |
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阿弥陀如来坐像
像高約230cm、寄木造。丈六像であ
るが若干小さめ。定印を結ぶ。 顔は
まっすぐに前を向いて 厳しい表情を
する。 衣文の線が浅い。 |
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十一面観音坐像
像高50cm、寄木造。まるまるとし
た顔つきで目を見開き、小鼻や口
、顎は小さい。
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薬師如来坐像
像高約115cm、寄木造。伏し目がち
で、口もとを緩める。 像内に1192年
を指す銘があり、貴重な基準作例で
ある。 |
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聖徳太子が 創建した日本最初の観
音霊場と伝えられ る。皇室をはじめ
源頼朝、豊臣秀吉などの武家からも
篤く信仰を集める。又、古くから安産
祈願のお寺として知られる。 |
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十一面観音菩薩立像
像高151cm、カヤ材の一木造、素地
仕上げ。 瞳は鋲であらわし、長い体
躯、まゆと眼の曲線、衣文などに 異
国的な雰囲気がある。 |
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825年に空海が 真言密教の根本道
場を建てる。1392年、仏地禅師が入
山し再興に努めた。江戸期に入り数
度の火災で多くの堂宇が焼失する。
現存する本堂は1609年の建築。 |
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阿弥陀如来坐像(1)
像高 162p、桧の一木造、漆箔仕
上げ。左手は与願印、右手は施無
畏印。納衣を偏袒右肩に着ける。 |
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降三世明王
像高179cm、シバ神は頭を踏まれな
がらも合掌し、妻のウマは片手で明
王の右足を支える。仏教に帰依し明
王を支える姿で表現される。 |
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雨宝童子立像
像高102p、桧材の一木造。髪が長
く垂れて頭上に宝塔を置く。 左手は
上げ宝珠を持ち、右手で宝杖を垂下
突く。天照大神が日向に下生した姿。 |
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阿弥陀如来坐像(2)
もとは忍山神宮寺の本尊。災禍を
経て、当初の薬師如来が 阿弥陀
如来立像に改作されたと 思われ
る。 |
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軍荼利明王、
像高174cm、動きをあらわしつつも
全体として穏やかな作風である。
顔つきも怒りの表情の中に穏やか
さがある。 |
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地蔵菩薩立像
像高142p、桧材の寄木造。上半身
は裸体で下半身は 丈の短い裙を着
ける。実衣類を載せる裸形像。裸形
着装像は生身信仰と考えられる。 |
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長谷寺の開基である徳道上人が 本
尊十一面観音の余材を用いて五大
明王を造らせる。その後、戦乱で本
尊を残し焼失。1615年に根来より宥
俊が入山し復興した。 |
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大威徳明王
像高174.4cm、迫り来る牛は写実
的に表現、前足を折っている。戦勝
祈願の本尊で 6本の足は六波羅蜜
を、6つの顔は六道を象徴する。 |
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728年に聖武天皇の勅願により行基
が開き、忍山神宮の神宮寺として創
建。阿弥陀如来立像は9世紀初めの
代表作。 現在は 無住寺で亀山市が
管理している。 |
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五大明王・ 不動明王
像高177.2cm、カヤの一木造、彩色
仕上げ。 強い怒りをあらわすが、時
代背景からか柔和な表情である。真っ
直ぐな自然の姿勢 は安定感がある。 |
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金剛夜叉
像高178cm、裳には美しい円花文が
鮮やかに残る。人を襲って喰らう夜
叉であったが、大日如来の威徳によ
り、仏教に帰依した。 |
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849年、慈覚大師が、伽藍が建立。
三徳山を境内とする山岳修験者の
道場として栄えたが、 兵火で多くを
焼失。 絶壁の窪みに建てられた神
社本殿は投入堂として知られる。 |
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十一面観音
像高160.1cm 、一木造 、彫眼。頭
部に 小面を取り付けていた跡が残
る。 口に朱、眉、眼、口髭を墨書き
する。 |
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蔵王権現正(本尊)
像高116.4cm、桧の寄木造、漆箔仕
上げ。 悪魔を抑え、修験者を導く守
護神。 胎内納入文書より 康慶の作
品と判明。 |
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蔵王権現(脇本尊) 6体
いずれも桧材の一木彫り。中央作り
の漆箔の正本尊とは違い、いかにも
地方の作品と 思わせる素朴な素木
の彫りである。 |
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蔵王権現立像(旧前立)
像高75cm、桧材の一木造。内刳なし
彫眼。近年の作として 本尊の御前立
として安置されていたが 年輪年代測
定の結果、1002年のものと判明 。 |
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8世紀初頭に金蓮上人が創建。平安
後期以降は 多くの寺院と僧兵を擁し
比叡山に並ぶ 隆盛を極めた。 明治
の神仏分離で急激に衰退し、現在は
4つの参拝堂と10の支院を残す。 |
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阿弥陀如来
像高 279 cm、檜材の一木造、内刳
り、漆箔仕上げ。偏袒右肩に衲衣を
着け、上品上生に印を結ぶ。胎内の
墨書銘から1131年良円の作と判明 。 |
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726年に聖武天皇の勅願により 行
基によって開基されたといわれる。
平安時代に九条家の祈願所となり、
鎌倉時代に源頼朝の命令で梶原景
時によって再建された。 |
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銅造観音菩薩
像高27.3cm、銅造。三面宝冠を戴き
正面に化仏を付ける。垂下させた左
手に宝珠を持つ。 頭部が大きく、口
元がやや緩む。 |
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不動三尊像・中尊(1)
像高187cm、桧材の一木造、内刳り
有り。量感ある堂々とした体躯である
が、穏やかな雰囲気が漂い全体とし
てユーモラスな印象。 |
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594年に智春上人により創建。最盛
期には42坊を擁する大寺として大き
な影響力を持った。現在は 本坊のみ
が残るが、境内には 中世から変わら
ぬ姿が残されている。 |
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不動三尊像・中尊(2)
あごを突き出し上唇を?み左目を眇め
る。髪は 弁髪にして左肩に垂らす。
面貌は 怪異な表現がされているが、
室町時代の彫り直しが多く見られる。 |
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銅造観世音菩薩立像
像高94.6cm 、台座に692年に出雲
国の若倭部臣徳太理なる人物が造
立した旨の銘記があり、この時代の
基準作として重要 。 |
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不動三尊・脇侍 平安中期
像高144cm矜羯羅童子、151cm制多
迦童子、桧材の一木造、内刳り無し、
彫眼。身体は古色仕上げで、脛部は
後補。 |
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749年、報恩大師により開山された。
備中福山には 仏教聖地が広がり安
養寺は中心本坊として栄えた。南北
朝の兵乱により伽藍は、焼失し毘沙
門堂だけが残る。 |
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毘沙門天立像
像高約205cm 、檜材の一木造り。
彫眼。動きは少なく、邪鬼の上に立
つ。 体の厚みは薄く、彫りも全体に
浅い。 |
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吉祥天
像高約170cm、檜材の一木造り、彩
色仕上げ。彩色はほぼ剥落し、素地
が見える。毘沙門天同様に体の厚み
は薄く、彫りも全体に浅い。 |
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749年、報恩大師の開基。12世紀の
源平の争乱により支院や三重塔を焼
失した。 後に、岡山藩の庇護を得て
7院13坊を擁する大伽藍となる。今日
でも恵亮院など6僧院が残る。 |
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薬師如来坐像
像高182cm、一木造で、背中から内
刳り。太造りで大きな肉髻、狭い額と
厚い膝、衣文に渦巻文、翻波式等の
平安前期の特徴を残す。 |
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聖観音立像
像高約170cm、一木造で内刳りはな
い。作風に薬師如来坐像と共通の特
徴が見られる。もとは薬師如来像の
脇侍であったとの指摘。 |
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実業家の耕三寺耕三が 母の菩提寺
として建立。堂塔は 日光東照宮の陽
明門を再現した孝養門など国宝建造
物を手本に建てられた。内15棟は国
の有形文化財に指定されている。 |
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釈迦如来立像
像高135cm、本体・台座とも カヤの
一木彫り。 厳しい顔つき、重厚な体
躯、太く彫られた衣文線などの特徴。
元々は伊勢神宮の神宮寺に所在。 |
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釈迦如来坐像
像高230cm 、寄木造,漆箔 仕上げ。
温和な作風だが,頭部がやや大きめ
で頭の鉢が張っている。 元々興福寺
東金堂に安置されていた。 |
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阿弥陀如来立像
像高60cm、寄木造,漆箔仕上げ。
小像であるが,漆箔の上に精緻な
截金を施した秀麗な安阿弥流の作
品胎内の空洞を金箔で貼りつめる。 |
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阿弥陀如来坐像(宝冠阿弥陀)
像高74.0cm、檜の寄木造り、内刳、
漆箔 仕上げ。高く伸びた髻に唐草
文の冠を被る。快慶の作品。 元は
伊豆走湯山常行堂の本尊。 |
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天平年間に行基が 建立。1108年に
白河上皇の勅願寺として発展、大寺
院となる。その後、火災により焼失し
たが、足利幕府の援助により現在の
伽藍が復興された。 |
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薬師如来坐像
像高91cm,膝張り71cm 重量感の
ある仏像で,螺髪は切付けで,彩色
のない素木仕上げ。 金堂内陣須弥
壇に安置されている。 |
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釈迦如来立像
像高78cm 、寄木造、玉眼 、素木仕
上げ。 小柄ながらも秀麗な容貌と調
和のとれた彫りの深い衣文線に快慶
作との伝承がある |
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616年に聖徳太子が創建と伝承。 足
利尊氏が湊川の戦いに際し、戦勝祈
願をしている。 鎌倉期の本堂、多宝
塔は国宝、室町期の山門、阿弥陀堂
は重文。境内全域も国宝に指定。 |
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十一面観音立像
像高1.6m、檜材の一木造、漆箔 仕
上げ。右手は 施無畏印を左手に開
敷蓮華をもつ。面相、体部は豊満で
ある。 |
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聖徳太子三像
像高68〜135cm。南無仏像(二歳)は
お経を唱える。孝養像(十六歳)は用
明天皇の病気平癒を祈る。摂政像は
左手に柄香炉、右手に笏を持つ。 |
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平安時代に創建され、江戸時代の
寛文年間に曹洞宗に改宗。 明治5
年に火災により焼失し、その後、再
建された。 |
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聖観音立像
像高178.0p、榧材の一木彫り、漆
箔仕上げ。頭上の宝髻が異様に大
きく、体形は豊満な量感を持つ。全
体的に衣文の彫りも穏やかで ある。 |
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創建時は不明で鎌倉時代の初めに
僧了海により再興される。明治の神
仏分離令までは、嚴島神社の普請奉
行として修理・造営を担う。筥崎宮や
宇佐八幡宮などの修理も行う。 |
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薬師如来坐像
像高50cm、檜材の寄木、割矧ぎ造、
漆箔仕上げ。 肉髻は大きく、上半身
は高く、顔つきはあくまで穏やかな定
朝様の作風 。 |
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釈迦如来坐像
像高約85cm、玉眼、寄木、割矧ぎ
造。 顔つきは平明、螺髪は小粒で
髪際は水平である。 上半身は高く、
膝は低め。厳島神社千畳閣の本尊。 |
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東大寺再建や 宗教活動の拠点であ
る7別所のひとつとして、1187年に重
源上人によって建立。 多くの塔頭を
有していたが1484年に焼失。その後
大内氏の援助を受けて再興された。 |
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金剛力士立像
像高約270p、桧の寄木造り。堂々
とした体躯 力量感あふれる表現に
鎌倉初期彫刻の特徴をみる。 快慶
一門の作とされる。 |
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重源坐像
像高約90cm、桧材の一木造り、中ぐ
り無し。東大寺、浄土寺にある重源の
肖像彫刻は晩年の姿で数珠を握る
が、この像は合掌する。 |
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741年に聖武天皇の勅願により建
てられた官寺のひとつ。1417年の火
災で多くの伽藍を焼失。その後は防
府の国主の保護を受け金堂、 仁王
門等が再建される。 |
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日光月光菩薩
像高約180cm、桧の一木造で内ぐり
はない。ほぼ直立し穏やかな顔であ
るが、衣の襞は硬い。面相、体形は
ほぼ同じ。 |
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阿弥陀如来
像高114cm、桧の寄木造り、漆箔仕
上げ。彫眼嵌入。上品下生印を結
ぶ。伏し目、柔和な表情、なだらかな
肩、流麗な衣文線は定朝様の特色。 |
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四天王立像
像高200cm超、桧の一木造、漆彩
色 。守護の役割を表わすために武
装憤怒形をしており、目が輝き、手・
腰のふりなど躍動感に富んでいる。 |
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薬師如来
像高218cm、桧の寄木造、玉眼嵌
入。顔は大きく、首は短い。 表情は
出さず、体は四角ばり、衣の襞はう
ねりを多用する。 |
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698年に役小角が、吉敷の滝を発見
し、熊野権現を勧請し 護摩業を修し
た。741年に行基が千手観音像を彫
り七堂伽藍を建立。大内、毛利の時
代には守護寺として保護される。 |
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大日如来
像高95cm、桧の一木造、漆箔仕上
げ。法界定印を結ぶ。衣文の彫りが
浅く、膝の厚みは薄いが、豊かな面
相、肉付きの良い体部に特色。 |
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